海外Q&Aサイトの「なぜ日本の古墳時代の天皇たちは、中国人や朝鮮人の氏族が日本人の土地に住み着くことを許したの?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(韓国系アメリカ)
今の多くの人は18世紀以前に政府が持っていた力を過大視していると思う。古墳時代(紀元250~600年頃)は、日本列島に集権的な政治組織があったという具体的な証拠が見え始める恐らく最初の時代だろう。日本の皇統も、その神話的な出自のことは忘れるなら、この時代に始まるようだ。とすると、人が国境を出入りして移住するのを強制的に禁止する権力を日本の天皇が持っていたとはまず考えにくい。

また天皇自身も多分移住者か、少なくともその関係者だったという事実がある。実際、朝鮮の百済王国からの移住者が日本に植民し、漢字や国家運営の戦術、先進的な鉄の冶金術、その他日本の文化の基礎を築くのに役立った文化的・技術的要素を持ち込んで、日本のヤマトの支配階級に収まったことを示唆する証拠は大量にある。

これは単なる陰謀論というわけでもない。少なくとも百済が初期の日本の社会の基礎を築くのに貢献したこと、そして朝鮮の住民の流入がなければあれほどの短期間であのような基礎が築かれることはあり得なかったことは、多くの日本の歴史学者が認めている。

また文字記録から分かるのは、百済とヤマトが非常に親密な外交関係を持っていたことだ。ヤマトは当初から、朝鮮半島で戦争の機会があればほぼ常に百済に付き、新羅と唐の連合によって百済が滅ぼされると、百済の支配階級の多くは日本に逃げた。こうした難民の中の一人が日本の皇族に嫁いで桓武天皇の母となったことはアキヒト天皇自身が認めているが、これは大和朝廷が百済に深い畏敬の念を抱いていなければ起こらないことだ。

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こうした事実に基づくと、古墳時代の日本の天皇たちは朝鮮人だったか、あるいはどこかで朝鮮人と繋がりのある人々だったと言うのが最も可能性が高いだろう。そして彼らは、仮に朝鮮人でなかったとしても、明らかに社会におけるその存在を、とりわけ漢字を大量に取り入れたことを高く認めていた。

また忘れてはならないのは、当時の文化と社会は今に比べて遥かに流動的だったということだ。日本人が外国からの移住者をひどく差別したとは考えにくい。なぜなら、はっきり言えば、当時それほど強く「日本人」という考えはなかったからだ。



■回答者2(韓国)
ヤマト時代の移住者の大多数に、中国人は含まれていない。これは言ってみれば、合衆国の初期の開発をイギリス人ではなくフランス人が主導したみたいな誤解に繋がる。要するにこれは、日本の初期の文明に対する朝鮮の影響を薄める、良くない表現なんだ。中国人は後から徐々にやって来たのだし、その総数は少なかった。当時圧倒的に多くの移民は朝鮮人だった。事実、朝鮮の移民は中国人よりも前に大規模に到来していた。しかし彼らは、文化的に進んだ朝鮮の移民と政治的に緊張した関係になった。朝鮮の移民は後に土着の勢力になった。

彼らは物部の軍勢に率いられ、蘇我氏に対抗するよう煽動された。蘇我氏は、朝鮮半島で影響力を強めていた国家、百済から来たと考えられていた。彼らは土着の宗教を信仰し、仏教の寺院と百済人の文化に従う僧侶たちを攻撃し始めた。ところが皇族は蘇我氏と同盟しこの抵抗を抑え込んだ。この抑圧を決定的に主導したのが聖徳太子だ。

言い換えると、この反乱と抑圧は、仏教の受容前に日本に移民した朝鮮人と、仏教を受容した朝鮮人との間での内戦と見なすことができる。その後、大化の改新で日本は朝鮮半島と結び付いていた歴史を破壊し、歴史を操作して作り始めた。これは恐らく彼らが自らの出自を知っていたためであり、また短期的には、朝鮮半島への軍事介入に対する報復を恐れいていたためだろう。そしてこの時以来、彼らは朝鮮半島から受けた莫大な文化的影響を隠蔽し、顔を背け続けている。

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もとの質問への回答は、当時の朝鮮人たちが日本を開拓すべき土地と見なして、日本への影響力を強めようと競い合っていたということだ。具体的には、父の権力を継ぐことができない次男たちが移住を先導したと考えられる。

さらに重要なこととして、皇族を含め勢力の強い氏族は、朝鮮半島の破局のリスクに備えて日本を将来に住む土地と考え、第二の国家を打ち立てる努力をしていた。従って両勢力の国家は親族同士だった。

朝鮮半島の百済が滅ぶと、日本の皇族は百済の親族として反乱を起こしたが、これは上述の仮定を支持するものだ。

その後中国からやって来た移住者たちは、多くが政治的な亡命者だった。これが朝鮮からの移民との違いだ。


以下余談。

日本が主張している日本の古代史について。

考えてみてほしい。彼らは、非常に高い水準の文化が彼ら自身の中から発生して、長期間に渡って続いたと主張している。しかし日本には紀元8世紀以前の文字による記録がない(石碑や絵文字すらない)。全ての記録は彼らが文明化した後になって書かれたものだ。しかしこの奇妙さは疑惑を裏書きするものだ。

この経緯は、当然ながら、次の2つの可能性を支持するものだ。第一に、彼らがどこか別の土地で文明化してから移住した可能性。第二に、彼らが文明化してからそれ以前の歴史を削除したか、あるいは新しく歴史を細工した可能性。もし君が日本の古代史を信じているなら、今後それはすっかり新しい知識によって置き換える必要が生じるかも知れない。

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翻訳元:Quora



近代的な領土や国境の概念はなかったでしょうね。



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