海外Q&Aサイトの「日本の若者は一般に自国の文化の伝統的な側面をどう見ているの?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者(デンマーク)
いわば入り混じった気持ちだ。曖昧な気持ち。さもなければ、特に何とも思っていない。

私が言おうとしているのは、私が教えている大学 ― 東京の繁華街にある有名な「ミッション系」大学 ― の「スマホ」世代は、それほど毎日「バックミラーを覗き込」んではいないということだ。彼らは、GoogleのレスポンスやLINEでメッセージが届くのにどれだけ時間がかかろうと、今に生きている。「今」というのはこの瞬間のことで、過去と同じくぼんやりした霧のかかった、彼らがそれほど考えることのない「明日」ではない。

私は観光学を教えていて、昨年150人の新入生に、あの楽しい寅さん映画(30本以上のシリーズで、長期にわたるスター・渥美清の死とともに終わった)を知っているか見たことがある人は何人いるか聞いてみた。上の世代にとっては、東京の下町地区・葛飾柴又のロケ地に観光客を集めたものだ。答えは衝撃だった。

150人の新入生のうち、この映画を知っている者も見たことがある者も1人もいなかった。多くが子供の頃から郊外住みの中流階級の生活にとって、伝統とは単にぼんやりした文化的な背景に過ぎない。

しかし、これは伝統に強い関心を持つ「若者」が全くいないということではない。そういう若者は、日本の多くの伝統芸の今や年老いつつある師匠の弟子として大変な努力をする決意を固めている ― ありがたいことにそうした伝統芸は少なくない。寺院や神社の建築から弓道の長い弓、そして織物、茶道、着物の織り・染め、まだまだ続けられる。若い女性は今も神社や祭りでは紅白の晴れ着を着るし、浜松では5月の子供の日と凧揚げの祭りの期間中、全ての年代の人々が踊りと太鼓の荒々しく喜びに満ちた夜に参加する(※→浜松まつり - Wikipedia)。下町のパレードに出る100以上の山車の一つでは小学生が和太鼓を叩き、その後近隣で演奏をする。

確かに現代の郊外住みの核家族は、家に帰ってこないサラリーマンのお父さんも、いつもイライラしているお母さんも塾通いの青白い子供たちも、立ち止まって自国の素晴らしく豊かな伝統文化を見直すような時間も好みもなく、自分の家族がやっているのと同じことを繰り返すために、大都市の官僚的な大企業に就職することに人生を費やしている。

そしてまた、古い殻を破る者も勿論いる。農業に戻ったり、現代的な起業のアイディアを持って農村地帯に引っ越したりする人たちがいて、これは現在進行中だ。外国人の中にもこうした経験に参加する人がいて、例えば和太鼓の教室には多くの外国人が押し寄せている。その調子で頑張ってくれ!



翻訳元:Quora



何だろう、この余計なお世話感・・・



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日本の伝統的織りもの、染めもの



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