海外Q&Aサイトの「なぜ日本は捕鯨をやめないの? 日本人はクジラを食べるのが好きなの?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(イギリス)
ノー。鯨肉は日本で全く人気がない。大抵は非常に安い値段で、ドッグフードや学校給食向けに売り払われている。捕鯨産業は政府の援助がなくては存続できないだろう。

問題は、捕鯨産業がわずか数ヶ所の特定の町に集中していることだ。そして、その町にとってこれは大問題だ。捕鯨とそれに付随する政府の補助金が禁止になると、経済が完全に崩壊する。

このため捕鯨を禁止するのは・・・政治的なポジションの問題だ。捕鯨の町を意図的に潰した男というレッテルを貼られたいと思う政治家はいない。その影響は町自体をはるかに超えて及び、日本中の多くの人を苦しめるだろう。特に保守的な人たちを。そして日本は非常に保守的な国だ。若い人たちが投票しない傾向があることを考慮すると特にそうだ。

日本が捕鯨を禁止できるようになるには、日本政府に対する保守層の締め付けが最初にクリアすべきハードルだ。そして数人の左翼を据えたら、この優先度の低い仕事に取り掛かれるように十分地位を安定させてやる必要がある。

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■回答者2(ハンガリー)
初めに言っておくと、私はクジラとイルカがもうどこでも捕られない日が来たら嬉しいと思っている人間だ。

その上で、私たちが何に直面しているかを少し振り返ってみるのは価値のあることだろう。

日本の食用捕鯨には、非常に深いルーツがある ― 海辺の共同体では8世紀以来行われてきた。そう ― 1,200年以上遡るんだ。

しかし今日、西洋の大半の国で捕鯨問題は歴史的または文化的な観点ではなく、情緒的または経済的な観点から構成されている。これは次の2通りのイメージに基づく戦いだ:

  • 主に燃料(特にランプ用の燃料)として使うために、クジラを工業規模で殺した19世紀の搾取的な捕鯨業者
  • 最大の生き物を殺すことへの、残酷でほとんどマッチョな執着(『白鯨』に心当たりある?)

これはどちらも西洋が作り出したものだ。これらを使って、どちらも当てはまらない日本人を辱めるのは、上手く行かないだろう。

カギは、クジラ自体にあるかもしれない。クジラは人間の文化を超えた存在だ。この知的な生き物を真に経験すれば、誰も殺ししたいとか食べたいとか思わないだろう。

グリーンピースの予算を使って、日本中の海岸地域の子供たちのためにホエールウォッチングと調査のツアーを始めよう。この活動に関心を抱く、経験豊富で年季の入ったクジラ漁師たちにその船を操縦させるんだ。



■回答者3(アメリカ)
現代の日本の食事で、鯨肉は特に重要な食材ではないと思う。しかし、これは日本人の精神の特別な部分に関わる。日本人は仏教徒だから、動物を殺すことや、死んだ動物に触れることすら不適切と見なしていた。部落民として知られる人々は食肉業や皮革業の労働者だ。彼らは自国の文化の中の追放されたカーストだった。現代の日本人は鶏肉と豚肉は普段から食べているが、未だにある程度の差別が残っている。牛肉はまだ少し贅沢な食材だ。一方、島国という性質上、歴史的に日本は魚なしには生きてこられなかった。そのため死んだ動物に関する禁止は、泳ぐものについては除外された。

で、クジラはこれに巻き込まれた。泳ぐからだ。

時代は変わり、捕鯨が行われている少数の共同体を除き、捕鯨に対する支援はずいぶん減った。米国は『ベーリング海の一攫千金』とそれに出演する漁師を持てはやしているが、日本が最後のクジラ漁師を見る目はそれと同じだ。アメリカ人はタラバガニを必要としないが、大量に消費されている。日本人の多くは、クジラ漁師は伝統的な仕事をやっている無骨な個人主義者と見なしている。捕鯨に政府から多くの補助金が出ているのは、いつかは終わるにしても日本は外圧でそうするつもりがないという事かもしれない。

参考:
「ベーリング海の一攫千金(ベーリングかいのいっかくせんきん、原題:Deadliest Catch)は、アメリカ合衆国のドキュメンタリー番組。ディスカバリーチャンネルで2005年から放送されている。ベーリング海のカニ漁の人間を追った番組で、現在までに9シーズンが作られた。」
ベーリング海の一攫千金 - Wikipedia

クジラの個体数は回復してきているが、最大のクジラは数が再生するのも最も時間がかかる。ミンククジラの個体数は安定しているが、シロナガスクジラはそれほどではない。

次のような合意をしてはどうだろう:a)鯨肉の輸出禁止、b)捕鯨はミンククジラのみで一定数に制限、c)ミンククジラの個体数の国際的な監視、d)現在操業している船に限定し追加は認めない。捕鯨の伝統のある土着集団は非常に限定された数のクジラを捕ることができる。そうなれば、この件は今よりずっと問題でなくなるだろう。



■回答者4(匿名)
なぜ他人のすることが君にとって重要なんだ? 君は鯨肉を食べないという選択をしたんだろ。オーケー、君にとっては良いことだ。自分の道徳的な優越性を自慢するのも良いだろう。でもそれがどこまで行くんだ?

君は自分のする全てのことが、感覚のある生物に影響を与えると考えたことがあるか? 君が存在すること自体が、他の生き物を一日中傷つけているんだ。交通機関を使う? どこかから水道管を通ってきた水を飲む? プラスチックや木を使ったことは? 着てるものは合成繊維、それともオーガニック?

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クジラとイルカを殺す人を嫌う人は、自分の見方だけが正しいと考えて他人に押し付ける。ところがそのうち、自分の道徳的な優越性を確信していて、それを強化するために他人を攻撃しようとする極端な人がいつも出てくるんだ。

君の論理的な回答は、偽善者になるか自殺するかしかない。もっとも自殺もこの世界の他の存在を傷つけることになるから、気をつけてくれ。

なぜ他人がすることを心配するんだ?



■回答者5
鯨肉を食べるのは日本の文化の伝統的な一部だが、過去50年ほどで劇的な、歴史的転回を経ることになった。

第2次大戦後、政府による学校給食の計画が始まった時には、鯨肉を食べるのは実際に奨励されたし、また必要なことでもあったと思う。日本は牧草地を作るには比較的狭い土地しかないので、全国規模で牛肉用に牛を育てるのは無理だ。鯨肉は比較的安くて量のあるタンパク源で、戦後の時代には一般的な食材だった。ベビーブーム世代の人たちは鯨肉を食べて育ち、好きになったんだと思う。

日本での私の経験からすると、大抵の人は鯨肉を食べることに抵抗はないが、ただし今では数が比較的少なくなっていて、そのため一般的には新鮮でなく質もそれほど良くはない。

日本に住んでいた頃、鯨肉は何度も食べたが、他の種類の新鮮な肉や魚に比べて特に美味しいとは思わなかった。昔を知っている人たちは、当時は供給が新鮮で量も多くてずっと美味しかったと言っていた。

外国の政府は一般に、捕鯨の問題を貿易やその他の政治的交渉に悪影響を与える可能性のある大きな外交問題にするのではなく、見解の相違を認め合うことにしているが、日本政府は恐らく捕鯨をやめる必要性を感じていない。日本には捕鯨を支持する人の団体も多いし、さらには経済的に捕鯨に依存している共同体さえあるからだ。



翻訳元:Quora



しれっと内政干渉宣言してて引いた。



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