海外Q&Aサイトの「ヤクザと同じ部屋にいるのってどんな感じ?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(カナダ)
日本人がヤクザを怖がるのは理解できることだが、外国人にとっては状況はまるで異なる。

ヤクザは組織内で上の方に行くほど、礼儀正しく洗練されている。私が関東地方で宣教師をしていた頃(1986~1988年)、上級のヤクザによく一緒にゴルフに行こうと誘われたが、残念ながらそうした誘いには応じてはいけないことになっていた。仕事で訪問すると、彼らはランクの低い構成員に私の世話をするように命じていた。ヤクザ以外の日本の社会では男性が誰かの世話をするというのは珍しいことだから、これをされるのは興味深くもあり、気恥ずかしいことでもあった。日本にいた初めの頃は、ヤクザのボスは必ず高価なダブルのスーツにロレックスの時計といった出で立ちだった。

通常「チンピラ」と呼ばれる最低ランクの構成員は、典型的なパチンコスタイルの服に1950年代のロッカーの髪型をした、たちの悪い連中だ。彼らは最悪に粗野な言葉遣いで喋り、しょっちゅう物音と仕草で人を威嚇しているので、日本人は何としてでも避けていた。チンピラは喧嘩を始めてもいつも口だけで手は出さないが、暴力をちらつかせて脅していた。

興味深いことにチンピラは外国人を恐れていて、CIA(戦後のアメリカの占領軍だと思うのだが)が大阪で数人を検挙して川に放り込んだことを覚えている者もいた。何十年も前のことで詳細はもう覚えていないので、この話の正確さは保証できない。ごく稀には、チンピラが日本人に対するのと同じ調子で私たちに話そうとすることもあったが、私たちは退かず恐れている様子を見せなかったので、いつもすぐ、極端に卑屈で申し訳なさそうな態度になった。



■回答者2(アメリカ)
日本に住んでいた頃に何度かヤクザに出会ったことがある。温泉でほぼ全身に入れ墨をしたヤクザを見かけるといったケースに加えて、東京と東北のあちこちのナイトスポットで関わり合いになることがあった。大抵は楽しいものだったが、全てがそうではない。

初めて関わり合いになったのは青森県の弘前でのことだ。週末の夜に、私は繁華街の専用駐車場に違法駐車していた。午前2時頃に友人と一緒に車を取りに行ったら、険しい顔をして駐車場の入り口に立っていた男がぶっきらぼうに1万円(100ドル)を要求した。彼が実際にその駐車場を「所有」しているわけでなく、単に夜になると引き継ぎを受けて、私のように車を数時間違法に停めた人間から、意志の力と支配的な態度で金をゆすり取ろうとしている事はすぐに分かった。1万円ではなく1,000円(10ドル)やると言ったら彼は睨みつけながら受け取って、私は立ち去った。非常に低レベルのヤクザだったんだと思う。

2度目は年配の紳士で、東京の郊外のバーで見かけるような見た目だった。フォーマルな浴衣(着物ではない)姿の奥さんと一緒だった。私たちは楽しく会話したが、私はうやうやしく振る舞うよう心がけた。最後に彼は、財布の紐を握っている奥さんに命じて私と友人の飲み代を支払わせたが、100ドルを超えていた。

新宿の歌舞伎町や渋谷で何かの場所を探している時は、路上で活動している低レベルのヤクザ(チンピラ)によく道を聞いた。その地域のことをよく知っているからだ。彼らはいつも丁寧に、正確な情報を返してくれた。

不幸にも暴走族と関わり合いになったこともある。これはヤクザのマイナーリーグみたいなものだ。大抵、ギャングどもが侮蔑的なことをぶつぶつ言って攻撃的なボディランゲージをしてくるという、非常に不愉快なものだった。幸い私は数年前の広島のアメリカ海兵隊の人たちと違って、怪我はせずに逃れることができた。彼らは「ガイジン狩り」の任務を帯びた暴走族の一群に遭遇し、病院送りになった。



■回答者3(フランス)
僕はタトゥーをしているので、探した末に「タトゥー可」の銭湯に行ったことがある。
そしてタトゥー可の店というのは普通、ヤクザの貸し切りだ。あるいは少なくとも、ヤクザでない日本人は行かない。

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先客は年配の男が1人、タトゥーだらけ。明らかにヤクザだ。
ヤクザには話しかけないよう忠告されていたが、そのうち彼が話し始めたので、10分か15分ぐらい日本語で話した。

良い経験だった。年配の男は非常に好奇心旺盛だった。なぜここに来たのかと聞くので、僕は自分の泊まっているところの水道管が壊れて、タトゥーをしているからここに来たのだと言った。
彼はフランスについて幾つか質問をして、一つ二つ話を聞かせてくれたが、詳しくは思い出せない(10年以上前のことだ)。で僕は帰った。

僕は最初少しびくびくしていたが、彼が「ギャング」とはいっても多くのことに関心を持つ教育のある男だということはすぐに分かった。

他にも幾つかある。パチンコ屋の前でヤクザたちの写真を撮っていたらこっちに来た。最初、僕たちの方に向かって来ると分かった時は恐ろしかった。すると彼らはポーズをとって、笑いながら僕たちに写真を撮らせてくれた。彼らは良い一日をと言い、僕たちはサンキューと言った。

恐らく相手がどんなヤクザか、どんなランクか、またどんな時間帯かによると思うので、僕の経験はヤクザとのごくわずかな接触に基づく主観的な見方にすぎない。

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■回答者4
ヤクザとは一度、実際は二度か、デートしたことがある。街の歓楽街に小さなバーを持っている女友達がいて、私はたまに顔を出して挨拶していた。いかがわしい所では全然なくて、彼女はお客さんをきちんと管理していた。手に負えなくなる人がいたら1秒後にはドアの外だった。

小さいお店だったので(4人掛けのテーブルが2つに4席のカウンター)、誰の隣の席になるかは選べなかった。小さな厨房に区切られたとこを除くと、多分四畳半(畳4枚半、約9フィート×9フィート)ぐらいだったと思う。

ある晩お店に行って、唯一の空席に座った。私は挨拶して、友達が飲み物を持ってきた。私が日本語を話せるので、隣の席の男性が驚いて微笑んだ。私たちは会話を始めた。彼はとても気のいい人で、とても礼儀正しかった。

それからしばらくして、また彼とたまたまお店で会った。私たちはゴルフの話をした。私はゴルフをしないんだけど、彼は教えてくれると言った。日本ではゴルフはお金持ちのスポーツで、ゴルフクラブに入るには何百万ドルもかかったりする。彼は、日曜の朝にゴルフ場に行こう、やり方を教えてあげると言った。躊躇したけど、その後彼は私の友達、つまりバーのオーナーを呼んで、ボーイフレンドと一緒に来ないかと言った。私も4人ならいいかと思った。

次の日曜、彼は私をタクシーで拾って、それから友達とのその彼氏とゴルフ場で落ち合った。彼は必要なゴルフ用品を私たちに貸してくれたけど、その頃には雪が降り出していたので、私はずいぶん無謀だなと思い始めた。コースには誰も出ていなかった。私たちは練習場に行ったけど、みんな厚着をしていたから動けなかった。彼はティーからボールを打ち出すやり方を見せてくれた。みんな4回ぐらい試したけど、凍えて死にそうになった。私はボールに一度も触れもしなかったのをよく覚えてる。

それから練習は切り上げてクラブハウスに入って、シャンパン付きの豪華な昼食をとった。

彼との2回目のデートはディナーと、彼の馴染みの場所を回っただけだった。ディナーの時、可愛らしい小さなゴールドのブレスレットと、ゴールドのコインのペンダントをプレゼントしてくれた。

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私は本当に惹かれ始めていた。彼は完璧な紳士だった(この性質を持っている日本人男性は少ない)。そして、それは起こった。

ディナーの後で行った最初のお店の前には、「治安を守る」ためのたくましい男が立っていた。横を通る時、その男が頭を下げて、すごく大人しく「オヤブン」と言った。それで分かった。「オヤ」は日本語でたくさんの意味があって、例えば相撲部屋の親方を指したりもする。基本的には親とか父親の意味だけど、この場合「ボス」の意味だということはよく分かった。

2軒目でも同じことがあって、私は猜疑的になり始めた。厄介なことは何も起こらず、彼は私を優しくタクシーに乗せて帰らせてくれた。

この男性が恋愛関係を求めていたわけじゃない事は分かっていた。でも金髪の情婦という考えが気に入ったんだと思う。うへえ。

だから私は女友達のところへ行って、彼が次に来たら説明しておいてほしいと頼んだ。ブレスレットは返してもらうように渡した。数週間して聞いてみると、ブレスレットは私のために買ったので私に持っていてほしいと言っていたと説明してくれた。

でも彼は魅力的だった。それは間違いない。ブレスレットは今でも持っている。

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翻訳元:Quora



外国人相手だと態度が違うんだ・・・



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