海外Q&Aサイトの「なぜみんなアニメでは日本語を学べないって言うの? 僕はアニメで日本語を学んで、日本で日本人同士の会話もニュースも広告も完璧に理解できるよ」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(アメリカ)
日本語を学ぶ者として、アニメを見るのが役に立つことも、僕の日本語の上達にどれだけ寄与してきたかも正確に断言できる。

まず第一に、僕は700本のアニメのTVシリーズ/映画を見てきた。(話数じゃなくて作品数。話数で言ったら1万は超える。)

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分かった。僕はオタクだ。 ― 続く ―

アニメサイトで見たものは全て一覧化してあるけど、恥ずかしいので公開はしていない。とはいえ、アニメコンベンションにも行ったことがないしお気に入りのキャラの扮装もしたことがなくても、本物のオタクに遜色ない ― 異様な生き物だろ、分かってるって。

次に、以下はアニメで日本語に触れるだけでは十分で「ない」理由のリストだ。

  • アニメだけを通じて日本語を勉強した場合、まともな会話を続けることはできない。読んだり聞いたりして理解する能力にはアニメが大いに役立つかも知れないが、日本語で人と正しくやり取りしたいのなら、話すのと書くのも同じぐらい重要なスキルだということを心に留めてほしい。

    例えば、アニメの日本語は日本人同士の普通の話し合いを直接反映したものではない。

    ナルト「サスケ! お前をぶっ飛ばすよ!」
    サスケ「一体何ゆってん、馬鹿野郎?! こっちの台詞」
    ナルト「だってばよ!」
    (※原文ママ)

    日本では、子供同士がこういう言葉遣いをすることはなくはないが ― ネイティブスピーカーに向かって上記の会話を始める前に、自分の歳を考えよう。まず、「飛ばす」に修飾語「ぶっ」を付けて使うのは単語の選択としてかなり強いもので、ネイティブスピーカーは単純に君のことを嫌いになって、君を馬鹿だと思うだろう。また「だってばよ」はアニメでナルトが言うおかしな造語のフレーズで、日本語ネイティブにとっては一切何の意味もないのだが、人は容易にミスリードされてこれが通じる言葉だと信じてしまったりする。他人が話すのを理解できようができまいが、君が日本語を話す能力は、君の見るアニメのキャラに限定されることになる。

    • 少女アニメしか見なければ、小さな女の子のような話し方になる。
    • 少年アニメしか見なければ、チンピラのような話し方になる。
    • 青年/女性アニメしか見なければ、暴力的なチンピラのような話し方になる。
    • 以上全てのタイプのアニメを見ると、暴力的でチンピラ風の小さな女の子のような話し方になる。

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    「バラは赤、スミレは青、
    お前はもう死んでいる。」

    君らの中にこれがかっこいいと思う人もいるのは理解できるが、真面目な話 ― この態度をとった場合、日本でハッピーにはならない。

  • アニメとは全く関わりのない、豊かで魅力的な文化は、君にとって謎のままだろう。学園ものを見ていた頃、僕にとってすごく魅力的に見える文化をよく見つけた:体育祭、中間試験、文化祭、焼きそばパンをめぐる昼食時の喧嘩、ヤンキー、奇妙な校内放送、告白、等々。僕は日本の学校はあんな感じだと本気で思っていた。

    関連記事:
    外国人「アニメによく出てくる日本についての誤解を解く」

    ある意味、アニメは日本の文化を大いに反映しているから、これらの大部分も実際に起こることだ ― が、ネイティブスピーカーと話してみると、細部は省かれている。日本に行ってみて以下のことが分かった:

    • 例えば日本の給食 ― あるいはランチタイム ― は、日本の文化の中でも最も興味深いものの一つだ。子供たちが自分で取り分けるやり方をどう学ぶかについて、詳細まで立ち入ったアニメはあるとしてもごくわずかだし、ランチにどんな食べ物を食べるのかの詳細を取り上げたアニメはほぼ皆無だ。それよりも、アニメはカップラーメン、焼きそば、場合によっては「裸エプロンのシェフの先輩」に注目する。

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      こういうの↑

    • 校内放送は、子供たちがテレビのニュースで見る「プロ」の発音のため、実際には非常に単調で抑揚のない話し方であることが多い。

    • 体育祭には、子供たちが嫌なことをやらされているのを親が見に来る。日本のアニメは体育祭をチームワークあふれるもので、心の結びついた子供たちの出す結果のように見せようとするが、実際には多くの子供は参加したくもないのに言いくるめられて参加している。ある意味、ちょっと気の滅入ることだが、日本の文化の重要な側面だ。

    • 日本のティーンエージャーおよび恋愛について議論している記事は、このサイトにも既に多々ある。手短かに言うと、18歳未満で恋愛をするという考えは一般に受け入れがたいもので、あからさまに反対される。中学や高校を舞台にしたアニメでの恋愛要素は単純に、恋に恋するティーンエージャーにアピールするため監督が創作したものだ。

要するに、君が会話を理解できるのは立派なことだが、学ばなければならないことはまだ沢山ある。アニメは日本語を経験するのに定番の楽しいツールではあるが、会話に加わろうとしたらアニメ以外の言語や文化について対応すべきことが大量にある。君には、そして君と同じように思っている人たちには、本とペンフレンドで練習することを強く勧める。日本語能力を伸ばす支えになるのはそれしかないのだから。



■回答者2(イギリス)
正直に言って、君は実際には自分で思っているほど日本語を理解できていないというのが明快な答えだ。読み書きの能力がないことに注目している回答が多いが、私は君の能力は自分で主張するほどのものではないと思う。

私はもう4年近く日本に住んでいて、英国に住んでいた頃は複数のアニメ団体のメンバーだった。特にその団体では、日本語が流暢に話せるとか「完璧」に理解できるとか主張する人に沢山会ったが、そういう人が日本語の基礎的な知識すらない、初心者に分類されるレベルですらないことはすぐに分かった。ある言語が得意だと主張しながら実はろくに分かってないなんて人がいるとは思ってもみなかったので、本当に驚いたよ。しかしアニメサークルでは、完璧に理解できると主張する人が実はそれとは程遠いというのは、驚くほどよくあることだ。中国語が流暢に話せるという友人(中国に住んでいた)がいたが、彼の家に行った時、実は「失礼します」しか言えなくて、レストランで注文するといった基礎的なことは難しくてできないと分かった。だから私は今では、日本語を完璧に理解できると主張する人には以前よりずっと懐疑的になっている。

私が会った中で実際に日本語が上手い人は、自分が日本語を完璧に理解できるとは決して言わない。「何とか通じる」とか日常生活レベルとか言うのが普通だ。アニメを見ただけでニュース報道が理解できるという人は、恐らく自分の能力を過大視している。

これはダニング=クルーガー効果に関係していることだと思う。ダニング=クルーガー効果というのは、Googleによると:

「心理学の分野で、ダニング=クルーガー効果とは、能力の低い人が自分の認知能力を誤って実際よりも高く評価するという「優越の錯覚」を抱く認知バイアスである。」

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君が実際に言いたいのがアニメで補って勉強したという意味でなければ、君の主張はおよそ正しいとは思えない。

実のところ、アニメが学習を助けるのに悪い方法だとは思わない。しかしアニメで学べることはほんのわずかで、アニメだけで独学するのは驚くほど非効率的な方法だろう。とはいえ本やCDや教室で勉強したり、あるいは単に日本人と話すことで、君が既に学んだことを補強するには良い方法だ。ただそれにしても、アニメを学習の助けとして使いたいのなら単に漫然と見ていてはダメだ。どんな日本語でも能動的に聴くのは、知っていることを補強するのに良い方法だけどね。新しい単語に気づいたり、理解を深めたりはできるが、初めに他の手法を使って勉強していなければ上手くは行かないだろう。

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アニメで学習するというアイディアは、人間の生まれ持った怠惰さを満足させるものだと思う。TVを漫然と見ているだけで、自然に吸収して言語を学べるというのは素晴らしいアイディアだ。楽しんで学ぼう! しかし人生における他の全てのことと同様、努力が必要だ。

また、何百日分もの時間アニメを見てきて(自分のアニメのリストからしても、そういう人が嘘をついていると考える理由は何もない)、依然日本語は少しもできないという人が沢山いるのだから、大して効果的でないことは明らかだ。そういうタイプに限って日本語が流暢だとよく主張するわけだが。

最後になるが、私は君が嘘をついているとは思わない。ただ自分を過大評価しているのだと思う。日本人も、日本語が一言でも話せれば褒めたりしてこれを助長しないでほしい。



翻訳元:Quora



外国人の言う「○○語ができる」ってかなりハードル低いんですよね。



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