海外Q&Aサイトの「ヤクザって今も日本に存在するの?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(アメリカ)
イエス!

日本でESL(※第二言語としての英語)を教えた最初の年は面白かったわ。NOVAっていう会社で働いた(当時の英会話学校のマクドナルドみたいなもの)。その会社はもうなくなっちゃったんだけど、それはまた別の話。

私は新大阪駅の近くの、梅田から地下鉄で1駅の(※原文ママ)、十三というところのNOVAの支店に配属された。

学校は十三駅のすぐ隣の商店街にあった。パチンコ店に囲まれていて、スタッフ用の簡易食堂の窓の下からはその電子音がうるさく鳴り響いていた。日中はいろいろなものを売っている薄汚れた家族経営の小さな店が並んでいて、最悪でもまあちょっと気が滅入るという程度だった。夜になると(私たちは夜9時まで働いていた)、商店街は別人に変貌した。

売春の広告を手にした男たちが集まり始め、酔っ払ったビジネスマンが商店街を抜けて、仕事の後の飲み会からよろめきながら帰宅していた。

女たちも、肌もあらわな短いミニスカートにハイヒールで現れ、道行く男たちにタバコをあげていた。こういう人たちがぞろぞろ出てきた。

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ある日、授業の後でタバコ休憩をとっていると、一人の男が私と同僚のほうに歩いてきた。サングラスをかけていて、タトゥーをしているのに気づいた。また顔には長い切り傷があって、すごく型通りという感じだけど、誓ってそうだったのよ。

彼はひどい英語で、私たちと会話をしようとした! そして私たちがタバコを取り出すと、彼はコートから拳銃を取り出した。

私たちは拳銃を持った男を見つめて立ち尽くし、一体何をするのかと思っていたら、彼は身を乗り出して引き金を引いた。小さな火が出て、彼は私のタバコに火をつけてくれた。

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確実にヤクザの一員だったと思うけど、会ったり、まして話をしたのはその一回だけだった。彼は変わってたけど十分礼儀正しくて、暗い路地で出会うような人では全然なかった。



■回答者2(アメリカ)
私はあちこち旅行して回るタイプではない。一つの場所を掘り下げるタイプだ。

イギリスには3年間、フランス、ドイツ、ベネズエラ(チャベス大統領以前)、プエルトリコにはそれぞれ少なくとも半年、住んで働いた。スペイン語とフランス語は流暢で、両方の言語で(技術的な)仕事をしてきた。

旅行で好きなのは地元の人たちのことを知り、「カルチャーショック」を受けることで、だから日本への旅行では特にラッキーだった。

「ラッキー」だったというのは、道場のみんなと日本に行ったからだ。私の子供(黒帯の試験を受けるため)と、日本出身の師範も一緒で、師範は自分でいわく「私にとって、時計の針は30年前で止まっている」という人物だった。私の考えでは、彼の「時計の針」はそれよりもう少し以前に止まっていた! とはいえ、そうでないとしても、彼は母国に帰るとさらに2、30年昔に引き下がった。そのため私たちは完全に伝統的な経験をすることになった。お寺の床に寝て、食事もすべて共同だった。どこかに出たり入ったりする時には、私の子供は私の靴を出したりしまったりしなければならなかった。子供たちは大人の給仕をしなければならず(そして大人が全員食べ終わらないと自分は食べられない)、また稽古は激しかった。

当時、この道場の「生い立ち」を知るようになった。昔、ヤクザの親分らしき男が師範のところに来て、稽古をしてくれと丁重に頼んだ。師範の説明によると「敬意をもって頼む者は、誰であれ拒んではならぬのだ」。そのためわが道場は、このヤクザの犯罪者一家と確かな繋がりを持つことになった。親分は実際に稽古をした。その後親分は結局刑務所に送られて、犯罪者一家は大混乱に陥った。以上は少し前の話なのだが、しかし私たちは稽古に来ていた元「会計士」とはかなりの時間を過ごした。この男は「ヤクザを辞めた」と言っていたが、しかし本当のことを言うと私は辞めたというのは、あるいは辞めようと思えば辞められるということ自体、信じてはいない。彼は修験道という、私にとっては初めて聞く宗教の僧として、自分を「作り変えた」。会う度に、毎日違う色のローブを着ていた。私たちをあらゆる種類の神社と観光地に連れて行き、法螺貝を吹き鳴らし、私たちに三拍手一礼をさせ、さらには儀式にまで参加させた。おそらくは昔の侍が経験した儀式で、ある種の祈祷を聞きながら冷たい滝の下に立つというものだ。後で聞いたのだが、彼は川の神が私たちを殺さないようにと祈っていたのだそうだ! 宗教とは・・・興味深い。

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僧として、彼は法律にかかわらずどこにでも駐車できる札を持っていて、他はともかく駐車に関する法律には違反しても罰せられないようだった。私たちを車で連れて行くときによくビールを飲み、おどけて「ガソリン」と呼んでいたのも知っていた。これが日本で合法とはどうも思えない。彼は赤信号や一方通行を気にする素振りも一切見せなかった! (99.999%の日本人とは異なり)彼は全身タトゥーだらけで、もちろん小指は両手ともなかった。彼がその特徴的なユーモアを交えて、貧弱なくだけた英語で語ってくれたところによると、「ミスをした(左手を上げて小指がないのを見せる)! 別のミスをした(右手を上げてこちらも小指がないのを見せる)!!!」

とにかく、非常に長い話を要約すると:彼は伝説的な人物で、私たちが慎重に計画したバケーションを完全に脱線させ、私たちが興味を持つと思った神社や場所やレストランを見せに、全家族を京都じゅう車で連れ回した。非常に親切で気前がよく、カリスマ性があり魅力的だった。彼という人間自体が一個の経験だった。

米国に戻って、妻とすべての経験について話し合い感想を述べ合って、私たちが80%ほどの確実さで達した結論は、彼は現役のヤクザではないにしても一種の無法な自然児なのだということだ。彼がある時、私たちの「ツアー」の資金を調達するために、レストランのオーナーに経済的な援助を「要求」していた疑いもある。ヤクザは今も確実に存在している。



■回答者3(匿名)
多くの回答者も言っているとおり、短い回答は「イエス」だ。なので、自分のヤクザとの遭遇をシェアしよう。

3年ほど前、日本の中央部の山地を一人で旅行し、露天風呂に行った。温泉は素晴らしく、大きくて、川沿いにあり、頭上には雪を頂いた峰と桜の木、お湯が巨大な岩から滝となって流れ落ち、極楽を描いた映画の中にいるようだった。ただ一つ問題なのは、混浴で、地元の習慣なのだろうが、男たちは裸だった(女性は体を隠している)。

私が座ってからほどなくして、一人の中年の男がやって来て、私と話そうとした。会話は友好的なものだったが、誰かと話すなら私は少なくとも布の一枚はあったほうが良い・・・

そのとき、下の湯船にはたくさんの客が入っているのに、上の湯船は岩のそばに男が一人座っているのを除いては完全に空っぽだと気づいた。引き締まった体の巨漢で、全身にタトゥーをしていた。彼が何者かは分かったが、それでも私は登って行って、湯船を挟んで彼の正面に座った。彼は私には一瞥もくれず、何度か顔をのぞき見たところ、目を閉じて、温泉に浸かってうたた寝するのを大いに楽しんでいるようだった。

しかしそれは問題ではなく、私は落ち着いて、ついに温泉と川のせせらぎ、流れる雲、山と桜の影に囲まれた自分の世界を静かに楽しむことができた。彼が出ていった後も、あえて「私の」湯船にあえて近付こうとする者はなかった。これは地位が確立したんだなと思った・・・

追記:通常、日本の公衆浴場はタトゥーのある人が入るのを禁止しているが、露天のやつはそこまで厳密に管理されていないのだろう。

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翻訳元:Quora



山伏のほうが絶対レアだと思う。



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