海外Q&Aサイトの「第2次大戦中、日本の兵士は自分たちが戦っている連合国の兵士のことをどう思っていたの?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(カナダ)
本当のことを言うなら、どんな軍隊も、自分たちの軍事力や信仰や人種の優越性を信じないのであればやめたほうがマシだ。この信念は、犠牲と国の名誉を唱え続けるプロパガンダによって常に強化される。「自らの流す血で喉を詰まらせながら」というチャーチルの言葉を聞けば分かる。両サイドが常に劣等なもの、人間以下のもの、あるいは人種的に不適当なものとして戯画化される。同等なものや優位なものとされることは決してない。この質問で言う「思う」(think)とは「敬意を払う」(respect)だろうか? 多分違うな。この考えが連合国に、太平洋戦争の初期段階では敗北を、そして最後には勝利をもたらした。

参考:
「チャーチルは演説をまるでシェークスピア劇のクライマックスの場面のように終えた。

 『私が一瞬でも交渉や降伏を考えたとしたら、諸君の一人ひとりが立ち上がり、私をこの地位から引きずり下ろすだろう。私はそう確信している。

 この長い歴史を持つ私たちの島の歴史が遂に途絶えるのなら、それはわれわれ一人ひとりが、自らの流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで戦ってからのことである。』」
チャーチルを「名宰相」たらしめた究極の選択 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

真珠湾での失敗とミッドウェーでの敗北から、日本の最高司令部の多くの人は戦争は終わったと思い込んだ。それでも彼らは戦い続けた。彼らはイギリス、インド、オーストラリア、シンガポール陥落後のアメリカ、そしてフィリピンの軍隊を、軽蔑していたかもしれない。実際、どの軍隊も戦闘にかけては似たり寄ったりだった(1,900人劣勢だったイギリス軍が見せた驚くべき勇敢さと裏切り、そして香港の未熟なカナダ軍は例外(→※香港の戦い - Wikipedia)。降伏の3時間前にイギリス軍がカナダ軍に命じた自殺銃剣突撃が好例)。日本軍にとってこの偏見は、ミッドウェー、ココダ道の戦い(※→ポートモレスビー作戦 - Wikipedia)、ガダルカナル、インパール、あるいはジャングルでのスリムとの戦闘(→※ウィリアム・スリム - Wikipedia)で高くつくことになった。



■回答者2(アメリカ)
日本人が一般に中国人を軽蔑していたというのは事実だ。しかし西洋に対する日本人の態度は、少なくとも戦争の初めには、もっと微妙なものだった。

西洋の文化は1930年代末までに日本で大人気になっていた。明治維新は日本を西洋の思想に向けて開き、日本人はそうした思想の多くを受容した。日本人の男性はスーツを着て、ハリウッド映画が日本の劇場で上映され、日本人はアメリカとイギリスのエンターテイメントとスポーツのセレブたちについて読んで追っかけ、クラブとダンスホールでは西洋の音楽が演奏され、また日本で最も人気のあるスポーツの一つは野球だった。日本の軍隊はいくつかのヨーロッパの軍隊に倣ったもので、軍学校には最近までヨーロッパ人の将校がいて彼らの訓練と学問を助けていた。

1930年代に日本の国粋主義的な政府が日本人例外論と人種的優越性を鼓吹し始めたのは事実だ。とはいえ、西洋の文化の影響を無慈悲に一掃しようといった運動はなかった。野球は禁止されなかった。代わりに日本人が命じられたのは、野球の用語に英語ではなく日本語を使うことだった。日本軍の内部に西洋に対する敵対心があったことは事実で、そのため中国にいた中立のアメリカ軍との間で幾度かの暴力的衝突も生じたが、しかしそれが本当に広く行き渡り根を張った憎悪だったかは不明だ。

そのため、米国と英国を相手に戦争を始めると告げられたとき、軍人も含めた日本人の大多数が最初に示した反応は狼狽、驚き、そして混乱だった。もちろんこの反応はすぐに過ぎ去って、自国が戦争に勝つのに協力するという仕事に取りかかった。

戦争が進むにつれ、軍人の中に西洋人の敵を憎み、軽んじる傾向が生まれてきたが、戦時中には自然なことだ。当然、軍および政治の指導者たちはこの態度は鼓舞した。おそらくこの態度は、西洋人の戦争捕虜に対する残虐行為の一因にもなっただろう。しかし戦争が終わると、日本人は大部分が完全に降伏し、ほぼ何の抵抗もなくまた敵対心を持ち続けることもなく、西洋の軍隊を自国に受け入れた。彼らはすぐに、西洋人たちに国を再建し産業を再編するのを助けるよう頼んだ。

西洋のエンターテイメントはほぼすぐに再び国中に受け入れられた。日本に駐留するアメリカ、イギリス、オーストラリアの兵士たちは、日本の元軍人も含め誰からも攻撃されたり、けなされたり、小言を言われたりは滅多にしなかった。事実、起こったのは正反対のことだった。日本の元軍人は、少なくとも戦犯として起訴される恐れのない者は、かつての敵に対して熱心に情報共有をしたのだ。したがって、日本軍が一般に西洋人の兵士たちを「クズ」と見なしていたと言うのは、いささか物事を単純化しすぎだろう。

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■回答者3
彼らは戦争の初めから、どの敵に対しても敬意を持ってはいなかたっと思う。彼らは自分たちが優れた人種だと考えていて、中国軍と戦って大半は容易に勝利した。インドシナではフランス軍と、ビルマではイギリス軍に容易に勝利した。フィリピンのアメリカ軍も物の数ではなかった。

戦争が続くにつれて、アメリカ、オーストラリア、またその他の連合国軍は強さと経験を増した。彼らは少しずつ日本人を押し返せるようになったので、日本人も彼らに敬意を払うようになったに違いない。

日本の将校の中には西洋の(そしてアメリカの)文化に親しんでいる者もいたが、大半の兵士はそうではなく、ある種の兵士たち(例えばフィリピンで戦った相手)が死ぬまで戦わず降伏を選んだのは理解できないことだったろう。日本に捕まった戦争捕虜が軍人からも文民からもひどい扱いを受けたのは、大部分これが理由だった。

日本軍が中国の民間人をどう扱ったかを見てみるといい ― 大量殺人、強制売春、医学実験。これらをやったのは、彼らが中国人を自分たちより劣ると思っていたからだ。

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■回答者4(フィリピン)
痛めつけ、拷問し、搾取するための、他愛もない退廃した慰み者だと思っていた。彼らは1937年から戦闘を続けていて、大量の精神異常者がいた。戦闘が長引くと兵士は誰でも精神異常になる。これはソンミ村虐殺事件でも、バダホスの包囲(※→アルブエラの戦い - Wikipedia)でも、マクデブルクの略奪(→※マクデブルクの戦い - Wikipedia)でも起こったし、オリバー・クロムウェルはアイルランドで明らかに気がふれていた(※→クロムウェルのアイルランド侵略 - Wikipedia)。



翻訳元:Quora



人種差別的なプロパガンダという点ではアメリカのほうがひどかったイメージ。



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