海外Q&Aサイトの「なぜ日本では宗教の話題がタブーなの?」という質問から、回答をご紹介。
■回答者1(カナダ)
「タブー」かどうかは分からないけれど、意見の割れる話題で、だから避けたほうが良いことになっている。他の人の回答で、日本人はプライベートのことはプライベートにしておきたがると言っているけれど、これは本当にそうね。
以前、3年間ぐらい一緒に働いている同僚がいた。私たちの関係は良好で、仕事以外のことについてもよく話して、お互いとても仲が良かった。ある年、彼女が夏休みから戻ってきて、校長が彼女は休み中に結婚したのだと公表した。私は彼女が誰かと付き合っていることさえ知らなかった・・・一度も会話には出てこなかったのよ! 結婚するつもりだったことを言ってもくれなかったので、初め私はちょっと気分を害した。でもこういうことがよくあって、今では文化的なものだということが分かっている。
仕事以外の友人、教会とかのもっと親密な友人は、私生活についてもっとオープンだけど、これは関係が仕事上の関心ではなくて宗教みたいなもっと個人的な関心に基づいているからだと思う。そして日本で同じ宗教の人たち(私とキリスト教徒の友人みたいな)は、ためらわずに宗教の話題について話すし、かなり活発な議論さえする。でも信仰が違う人とそこまで遠慮なく話すとは思えない。日本人にとって、「物議」をかもすのを避けるのは敬意の表し方の一つなのよ・・・日本人は大抵、論争になると窮屈に感じる。
■回答者2
タブーか? 神道の装いの下で戦争をしたからかもしれないな。また日本のTVはなぜか、ある種の新興宗教は「助長」することを恐れて言及を避けている。
ちなみに、日本の大衆は宗教に対してファーストフード式の付き合い方もしている ― 生まれると神道で祝福を受け、偽物のキリスト「教会」と偽物の「神父」で結婚し、仏教徒として死ぬ。新年には古いお寺か神社にお参りに行く。等々。
概して、日本人の宗教に対する態度はかなり頭がおかしい。彼らは宗教とは何かが本当には分かっていない。たぶんそれが、宗教が「タブー」になる理由だろう。
■回答者3(イギリス)
タブーだとは思わないが、英国と同様に日本は非常に非宗教的な国だ。大抵の日本人はあからさまに現代的な、啓蒙的な見解を持っていて、そのため真剣な宗教をせいぜいが遅れたもの、悪くすると徹底して危険なものと見ている。
日本は組織化された宗教についてあまり良い経験をしてこなかった。組織化された宗教が日本に影響を与えたときと言うと:
宗教が話題に出ると、日本人は相手が宗教の勧誘をするつもりで、その打診を断らなければならないのではないかと不安になる場合が多いのだと思う。彼らはそうした拒絶が無礼と見られることを恐れていて、そのため会話にそうした発言が出るとすぐに神経をとがらせる。また大抵は対立的な議論に慣れていないので、一般に論争になるような話題を好まない。
日本人はしばしば、意図と目的は大抵が非宗教的であるとはいえ、人生の節目となる大事な出来事になると、神道か仏教、あるいはその両方の伝統を(また時には、結婚で西洋式の伝統までも)守っている。しかし一般に宗教はそうした時に限られるべきもので、通常あまり真剣に受け取られてはいない。
個人的に、この態度はバランスがとれていて適切なものだと思うし、現代の日本の日常生活の調和と平和を支えているものだと思う。
■回答者4(イギリス)
「タブー」の話題だとは思わない。単に大抵の日本人が(きわめて正しいことだと私は思うが)あまり気にせず、そのためあまり知らない話題というだけだ。しかし彼らは一般に、宗教を深く気にかける人も(大抵どこにだって)いることを理解していて、だから、微妙でありうる話題について話すのは窮屈な思いをするのかもしれない。例えば、宗教に興味がないと言ったら、きわめて信心深い人の気持ちを傷つけるかもしれない。名目上、多くの日本人は自分の宗教は神道(か仏教、またはその両方)だと言うだろうが、これらの宗教は彼らの生き方にほとんど影響を及ぼしていない。
さらに、日本人は、これまた安全領域(コンフォートゾーン)を転倒させることを恐れて、人が異なった意見を持つような真面目な話題について話したがらない傾向がある。自分の野球チームが他のチームより上手い理由について話すのは良いが、死刑執行に関する見解が他の人と違う理由についてはそうじゃないんだ。
最後に、しかし一番大きな理由は、日本の人々は宗教がなくてもごく幸せに生きていて、証拠も何もないものを信じる理由がないということかもしれない。
翻訳元:Quora
日本だとカルトとか新興宗教のイメージはどうしても付きまといますね。
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■回答者1(カナダ)
「タブー」かどうかは分からないけれど、意見の割れる話題で、だから避けたほうが良いことになっている。他の人の回答で、日本人はプライベートのことはプライベートにしておきたがると言っているけれど、これは本当にそうね。
以前、3年間ぐらい一緒に働いている同僚がいた。私たちの関係は良好で、仕事以外のことについてもよく話して、お互いとても仲が良かった。ある年、彼女が夏休みから戻ってきて、校長が彼女は休み中に結婚したのだと公表した。私は彼女が誰かと付き合っていることさえ知らなかった・・・一度も会話には出てこなかったのよ! 結婚するつもりだったことを言ってもくれなかったので、初め私はちょっと気分を害した。でもこういうことがよくあって、今では文化的なものだということが分かっている。
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仕事以外の友人、教会とかのもっと親密な友人は、私生活についてもっとオープンだけど、これは関係が仕事上の関心ではなくて宗教みたいなもっと個人的な関心に基づいているからだと思う。そして日本で同じ宗教の人たち(私とキリスト教徒の友人みたいな)は、ためらわずに宗教の話題について話すし、かなり活発な議論さえする。でも信仰が違う人とそこまで遠慮なく話すとは思えない。日本人にとって、「物議」をかもすのを避けるのは敬意の表し方の一つなのよ・・・日本人は大抵、論争になると窮屈に感じる。
■回答者2
タブーか? 神道の装いの下で戦争をしたからかもしれないな。また日本のTVはなぜか、ある種の新興宗教は「助長」することを恐れて言及を避けている。
ちなみに、日本の大衆は宗教に対してファーストフード式の付き合い方もしている ― 生まれると神道で祝福を受け、偽物のキリスト「教会」と偽物の「神父」で結婚し、仏教徒として死ぬ。新年には古いお寺か神社にお参りに行く。等々。
概して、日本人の宗教に対する態度はかなり頭がおかしい。彼らは宗教とは何かが本当には分かっていない。たぶんそれが、宗教が「タブー」になる理由だろう。
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■回答者3(イギリス)
タブーだとは思わないが、英国と同様に日本は非常に非宗教的な国だ。大抵の日本人はあからさまに現代的な、啓蒙的な見解を持っていて、そのため真剣な宗教をせいぜいが遅れたもの、悪くすると徹底して危険なものと見ている。
日本は組織化された宗教についてあまり良い経験をしてこなかった。組織化された宗教が日本に影響を与えたときと言うと:
- 日本は西洋の植民地大国と初めて接触した後、カトリックの宣教師たちによる植民地化をかろうじて避けた。そのためにキリスト教徒たちは追放され(あるいはもっと悪いことになり)、日本は外の世界に扉を閉ざした。
- 第2次大戦に至る段階で、天皇が生きている神だという概念は、伝統的な神話学の概念から、人々が文字通りに受け取ることを命じられる概念になった。続いてこれは独裁体制へと向かうその他の動きとともに、日本にとって悲惨な結果をもたらした。
- 日本は犯罪率が低く、現代のテロリストによる事件はほとんどないが、組織化された宗教と直接関わりのある3つの事件があった:サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』の訳者がおそらくイランと関わりのある暗殺者に暗殺されたこと(※→Wikipedia)、オウムというカルトによる殺人と東京の地下鉄に対する大規模な毒ガス攻撃、そしてもっと最近のものの中では、シリアでISISが日本人を斬首し、パキスタンでテロリストが日本人を殺害したこと。
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外国人「日本人の同僚がカルト信者で驚いたよ」→「…何か勘違いしてないか?」 - 宗教は、神学的な観点からも、歴史的・心理学的・社会学的な観点からも、学校では教えられておらず、一般に宗教に対する関心は低い。そのため大抵の日本人は宗教について詳しいことをあまり知らないし、理由は他にもあるだろうが、宗教について話したがらない。
- 憲法上、宗教は国家から公式に切り離されており、これにより宗教がその持ち場を離れてはいけないという考えは公式の認可を与えられている。
- 日本人が日常生活で宗教と接点を持つのは、玄関先や路上で話しかけてくる面倒な人たちであることが多く、通常は他人のプライバシーを尊重するこの国で、あまりポジティブなイメージを生むものではない(霊的な信仰は大抵が個人的でプライベートなことと見なされている)。
宗教が話題に出ると、日本人は相手が宗教の勧誘をするつもりで、その打診を断らなければならないのではないかと不安になる場合が多いのだと思う。彼らはそうした拒絶が無礼と見られることを恐れていて、そのため会話にそうした発言が出るとすぐに神経をとがらせる。また大抵は対立的な議論に慣れていないので、一般に論争になるような話題を好まない。
日本人はしばしば、意図と目的は大抵が非宗教的であるとはいえ、人生の節目となる大事な出来事になると、神道か仏教、あるいはその両方の伝統を(また時には、結婚で西洋式の伝統までも)守っている。しかし一般に宗教はそうした時に限られるべきもので、通常あまり真剣に受け取られてはいない。
個人的に、この態度はバランスがとれていて適切なものだと思うし、現代の日本の日常生活の調和と平和を支えているものだと思う。
■回答者4(イギリス)
「タブー」の話題だとは思わない。単に大抵の日本人が(きわめて正しいことだと私は思うが)あまり気にせず、そのためあまり知らない話題というだけだ。しかし彼らは一般に、宗教を深く気にかける人も(大抵どこにだって)いることを理解していて、だから、微妙でありうる話題について話すのは窮屈な思いをするのかもしれない。例えば、宗教に興味がないと言ったら、きわめて信心深い人の気持ちを傷つけるかもしれない。名目上、多くの日本人は自分の宗教は神道(か仏教、またはその両方)だと言うだろうが、これらの宗教は彼らの生き方にほとんど影響を及ぼしていない。
さらに、日本人は、これまた安全領域(コンフォートゾーン)を転倒させることを恐れて、人が異なった意見を持つような真面目な話題について話したがらない傾向がある。自分の野球チームが他のチームより上手い理由について話すのは良いが、死刑執行に関する見解が他の人と違う理由についてはそうじゃないんだ。
最後に、しかし一番大きな理由は、日本の人々は宗教がなくてもごく幸せに生きていて、証拠も何もないものを信じる理由がないということかもしれない。
翻訳元:Quora
日本だとカルトとか新興宗教のイメージはどうしても付きまといますね。
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外国人「神道って今の日本の社会でどんな役割を果たしているの?」
外国人「なぜアーミッシュは現代のテクノロジーを恐れているの?」
外国人「天皇陛下って言葉は普通に使う? 外国人が言っても失礼にならない?」

日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)
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一般人からすればどうでもいいもん。
出てきても冠婚葬祭くらい。
あとは伝統であって宗教という活動ではない。
ニュースで出てくるのはカルトだけ。