海外Q&Aサイトの「毛沢東は日本が中国を侵略したことを感謝していたの?」という質問から、回答をご紹介。


■回答者1(Andy Lee Chaisiri アメリカ)
毛沢東は日本の首相に謝罪を撤回するようにと言っている。

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「(日本は)謝る必要はない、中国に貢献したのだ。なぜか? 大日本帝国が侵略戦争を始めなければ、われわれ共産主義者がどうして強大になりえただろうか? どうしてクーデターを起こすことができただろうか? どうして蒋介石に勝つことができただろうか? どうして君らに報復しようなどと思うだろう? われわれは戦争賠償を求めようとは思わない!」 ― 日本の田中角栄首相に対する毛沢東の挨拶、1972年、南京

毛沢東は自らの戦争遂行努力に対する日本の貢献を賞賛している。

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「あの日本人たちは本当に良い人々だった。日本人の助けなくして、中国の(共産主義)革命は成功しなかっただろう。私はこれと同じことを、日本人の資本家、南郷三郎に言った。彼は何度も『申し訳ない、私たちはたしかに中国を侵略した』と言っていた。私は言った。『やめてください。逆です。日本人はわれわれ(共産主義者)を大いに助けてくれたのです』、特に日本の軍閥と天皇は、と」 ― アメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーとの対話、1970年

毛沢東の共産主義者たちは中華民国から撤退を続けていたが、そこに日本がタイミングよく介入してきて彼を救った。日本と戦った中華民国の軍隊は、最高の訓練と装備をそなえた部隊から300万人を超える死傷者を出し、また民間人の死者も2,000万人に上った。

中華民国は民間人を守らねばならなかったため(蒋介石は中国の他の勢力を日本以上の脅威と考えていたので、できる限りそれを避けてはいたが)、都市部で機甲化された日本の部隊の矢面に立つことになったが、一方毛沢東は地方に撤退し、日本人の兵士の小集団を待ち伏せするゲリラ戦で戦う余裕があった。

大日本帝国が敗れるまでに、毛沢東は力を取り戻し(降伏した日本人も数千人が毛沢東の部隊に採用された)、弱体化した中華民国にとどめを刺した。

誤解のないように言っておくと、私は大日本帝国の侵略に抗して戦った者は(どの旗のもとで戦ったかにかかわらず)全員が英雄だったと思っているが、しかし共産党も国民党も、指導者は利己的だったと思う。彼らは領土をめぐって互いに戦うことのほうに関心があり、配下の人命はその目的を達成するための駒だった。祖国を護るために戦って亡くなった、国民党員でも共産党員でもない中国人もいたが、歴史の本はその多くを忘れてしまっている。

後に毛沢東は、日本の戦犯を中国本土に招いた。

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※翻訳:
遠藤三郎宛ての覚書
(1956年9月5日)
ソース:遠藤三郎『日中十五年戦争と私』(東京、1974年)、口絵

1956年8月から9月初旬にかけて、遠藤は日中戦争での日本陸軍の退役軍人の団体を率いて訪中した。彼らは9月4日に毛沢東と会談した(前頁参照)。会談の際、遠藤は毛沢東に日本刀を贈った。以下は毛沢東が遠藤に贈った返礼品に添えられた自筆の礼状である。

「遠藤三郎氏から秘蔵の一品を気前のよい贈り物にいただき、私は返礼としてこれに見合う価値のあるものを何一つ持たないが、この斉白石の竹林図を謹んで贈る。
    毛沢東
    1956年9月5日
 遠藤三郎氏に謹呈」

「毛沢東は1956年に、日本の軍隊が中国にやって来なければ中国共産党はいまだに僻地にいて、北京で京劇を見ることもなかっただろう、と発言したことが知られている。この発言は、彼が戦時中の日本の軍国主義を完全には拒否していなかったことを意味するものと取られた」 ― 毛沢東、国交正常化のため戦犯に頼る | The Japan Times(※英語、現在は削除されているためリンク先はWebArchive)

毛沢東は日本人との商取引に忙しく、わざわざ戦争のことで日本人を責め立てるような暇はなかったし、また彼にとって主敵は常に中華民国だった(当時中華民国は台北とビルマのジャングルに潜伏し、中国本土への侵攻を米国に支援させようとしていた)。中華人民共和国を中華民国以上のものと日本に認めさせることのほうが、彼にとっては優先度が高かった。

実際、中国本土で反日感情の高まりを目にするようになったのは、毛沢東の死後のことだ。

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今では馬鹿どもが「愛国」暴動に参加して、毛沢東の写真を何か意味でもあるかのように掲げている。

関連記事:
外国人「中国本土では反日感情ってまだ強いの?」


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■回答者2(Michelle Zhou)
「毛沢東は日本が中国を侵略したことを感謝していたの?」イエス、でもこれは大した問題ではないと思う。

ネット上には次のような俗説がある。日本の田中角栄首相が自伝の中で、1972年に毛沢東が日本に中国の侵略を感謝したと書いている。侵略がなければ共産主義者が権力の座につき、中国を支配し、蒋介石に勝つ見込みはなかった。「感謝」の印として、日本は中国に戦争賠償をする必要がなくなった。

不思議なことに、田中に自伝がないということに気づいているのは私だけみたいね! 私は日本語ができて、田中の原文を見つけようとしたけれど、見つからなかった!


この話を日本側が語っているところによると、1956年、毛沢東は遠藤三郎に次のように語った:

「あなたたちは我々の先生であり、感謝しなければならない。戦争こそが、まとまりのない中国人民を団結させたからである」
日本の侵略行為に感謝する(by毛沢東) - アンケート 解決済み| 【OKWAVE】


1961年、毛沢東は黒田寿男に次のように語った:

「日本軍がかつて中国の大半を占領したために、中国国民は学ぶことができた。もし侵略がなければわれわれはいまだへき地にあり、北京で京劇を見ることもなかっただろう。侵略に対抗するためにわれわれは抗日拠点を作り、それがその後の解放戦争の勝利に有利な条件を整えた。日本の資本や軍閥はわれわれにとっていいことをしてくれた。感謝しろと言われれば私は侵略に感謝しても良い」
毛沢東はなぜ「日本の侵略に感謝する」と発言したのか?=中国 (2011年8月17日) - エキサイトニュース(1/2)


日本の学識者の分析:

「「敵に感謝する」という毛沢東の発言はユーモアと諷刺、皮肉を込めたものであり、日本による侵略を肯定するものではなく、また、日中戦争が中国人民にもたらした災難を肯定するものでもない。つまり毛沢東の談話は日本帝国主義を反面教師として捉えたものであり、客観的に見た場合、日本帝国主義による侵略が中国人民を団結させ、反抗と覚醒をもたらしたという意味であろう。」
【今日のブログ】毛沢東の「日本に感謝」の真意とは? (2009年1月14日) - エキサイトニュース(2/2)


もう一度言うけど、これは大した問題ではないと思う・・・



■回答者3(Alex Foster)
まあ、イエスだ。毛沢東は中国を侵略したことについて日本に感謝した。

李志綏(毛沢東の個人医師であり友人)は、その大著『毛沢東の私生活』の568ページで、実際にこう述べている:

「田中(日本の首相)が中国の侵略を謝罪しようとしたとき、毛は、日本の侵略という『助け』があってこそ共産党の勝利が可能になり、また共産党と日本の指導者たちとの今回の訪問も可能になったのだと確言した」。

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同書がエビデンスに乏しいことはさておき、毛沢東が1961年に日本の政治家たちを迎えた際のスピーチの中で、次のように言ったことは非常によく知られている:

「日本軍がかつて中国の大半を占領したために、中国国民は学ぶことができた。もし侵略がなければ中国国民は目を覚まさず、団結することもできなかっただろうし、その場合われわれ(共産主義者)はいまだ僻地にあり、まして北京で京劇を見ることもなかっただろう。大日本帝国陸軍が中国の大半を占領し中国国民の行き場をなくした、まさにそのおかげで、中国国民は事態を理解するやいなや武力闘争を開始し、その結果多くの抗日拠点を作り、それがその後の解放戦争の勝利に有利な条件を整えた。日本の資本家と軍閥はわれわれ(共産主義者)にとって良いことをしてくれた。もし感謝する必要があるなら、私は日本の軍閥に感謝したいと思う。」

しかし毛沢東はなぜこんなことを言ったのか? 日本の中国侵略に感謝するのは、結局のところ侵略で同志を失った多くの退役軍人を怒らせることになり、また帝国陸軍の手にかかって5万~30万人の女性、子供、男性が亡くなったのだとすると、南京のような侵略時の戦争犯罪の生き残りをも激怒させることではなかったのか?

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関連記事:
外国人「南京大虐殺について日本人はどう考えているの?」

毛沢東が第2次大戦中の中国侵略について日本人を称賛したことには、次の理由が考えられる:

毛沢東が中国侵略について日本に感謝したのは、毛沢東と共産主義者たちが日本との関係を構築中で、日本との間に遺恨を望んではいなかったからだ。

'50年代にソ連が中国から撤退すると、中国には新たな経済的パートナーが必要となった。さもなければ中国の経済は完全に崩壊していただろう。中国に最も近くて豊かな国は、敗れたかつての敵、日本だった。1961年、日本の首相(※通産大臣の誤り)・高碕達之助は、二国間の貿易関係を促進させる覚書に調印した。

日本が中国人ともっと快適に協働できるように、そして日本人が中国人と商取引をする気を削ぐような、侵略に由来する反感の印がなくなるように、毛沢東は日本人に侵略は「大したこと」ではなかったと語り、実際日本の中国侵略がなければ共産党はこれほどの支持者を集められなかっただろうし、中国の広大な平原を支配することもできなかっただろうと語った。

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したがって結論はイエス、毛沢東は日本の中国侵略に感謝したが、しかし南京やその他の土地での戦争犯罪にまで感謝はしなかったことは忘れてはならない。もしそんなことをしたら、中国が独裁国家であろうがなかろうが、大衆を激怒させていただろうから。



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■回答者4(Tianle Yuan)
意図的にせよそうでないにせよ、偽情報が多いな。

1. 3年間の飢饉で3,000万人が死んだという数字がよく使われるが、これはまったくの事実無根だ。本気にしているなら、一方ではなく双方の資料を読むといい。これは計算の過程で、大きく誤った仮定が大量に入り込んだ結果だ。例えば、この3年の間に人口増加が同じだったか、あるいは加速していたはずだと仮定している。49年の直後のベビーブームは傾向を代表するものではない! また、この事件はある理由から大飢饉と呼ばれている。人口増加率が同じだとすることで、想像上のものでしかない人間が大量に「殺された」ことになっているんだ。また、中国には厳格な戸籍人口調査の制度がある。この制度で出た数字は非常に信頼のおけるものだが、しかし人々はクレイジーな計算のほうを信じることを選ぶ。自然科学ではないし、毛沢東を悪魔化するお話にはうってつけだからだ。

参考:
「大躍進政策は、軍事侵攻の末に同国に併合されて間もないチベットでも行われた。しかし餓死者は続出し、1989年の中国社会科学院の調査では、飢饉で死亡した数は1,500万人とされる[2]。この他、人口統計学者のジュディス・バニスターは、3,000万人と推計している[2]。」
大躍進政策 - Wikipedia

2. トップアンサー(※回答者1)は、正しい文脈から切り離したミスリーディングな情報の断片を非常に巧みに並べ替えたものだ。いくつか例を挙げよう。毛沢東は相手が間違っていて自分が正しいというメッセージを伝達するために、しばしばこの種の表現を用いて敵に感謝している。彼の書いたものを読むと、ほとんどあらゆる敵やライバルに感謝している。したがって、彼が文字どおり真摯な感謝のつもりで言っていると考えるのは馬鹿げている。

3. また戦犯との接触に関する報告も、非常にミスリーディングだ。第一に、この戦犯を釈放したのはアメリカ人だ。第二に、彼と接触したからといって中国と日本が運命をともにする仲だったというわけではない。安倍がAPECの会議に招かれるようなものだ。中国人が過去の悪行について教えを垂れるために彼を招くことだってありうる。第三に、毛沢東は多忙な男ではあるが1日は24時間しかなかった。中国で起こったことを何でもかんでも彼に結びつけてはいけない。

4. 西洋の人間はたいてい、毛沢東を悪魔化するプロパガンダに騙されやすい。これは、すべてがあまりに完璧にその条件に合致するからだ。彼は共産主義者で、アメリカとの戦争で戦った。アメリカをバックにつけた軍に勝った。大量殺人者だ。独裁者だ。彼を憎むことで、人は自分が正しいという気分になれる。で、君は一度でも状況を詳しく批判的に調べようとしたことがあるのか? もしあるなら、かなり違った考えを見出すだろう。

この回答を読む人がいたら、敵対的なコメントがつくだろうな。 :)



翻訳元:Quora



中国の政治家の発言はあんまり真に受けてはいけない気がします。



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