海外Q&Aサイトの「最近神道に興味を持ったんだけど、日本人じゃなくても実践できる? メキシコには神社がないみたいなんだ。あと神棚みたいなものも買えない。どうすればいい?」という質問から、回答をご紹介。

■回答者1(アメリカ)
実践できるかって? 君が基本的な教義に通じて、自然が神秘的にして厳かなものだという考えを受け入れるなら、それが日常生活の一部になるのは避けられないことだと思う。私は総じて自分がキリストの福音の実践的な信者だと思っているが、しかし観客にして参加者という立場で「創造」の一部であることへの謙虚と感謝の念を抜きにして日々の生活は全く想像できない。神道はごく自然に私のアイデンティティの一部になっている。
日本人は儀礼にうるさいようだし、理屈から言えば神道の儀式を行うのには「正しいやり方」と「間違ったやり方」がある。しかし正しくやるための制限が1インチあるごとに、儀礼を間違える1マイルの余裕がある。次に会う日本人5人に、神社に礼拝に行った時の正しい一連の行動を聞いてみるといい。私はギャンブラーではないが、5人全員から同じ答えが返ってこないことに自分の全生活を賭けよう。
一番重要なのは、思うに、自然に対する注意深さを決しておそろかにしないことだ。単純な季節の移り変わりから、破局的な自然現象の衝撃まで、起こっていることに対する注意深い態度を保ち、存在することへの感謝の気持ちを保ち、そうした現象や状況が開示される可能性には更なる感謝を抱き、そしてその全てを通じて、自然の尊厳に対する脅威や畏怖の念を持ち続けることだ。
私は一神教的な枠組みで考えているから神道は異端的に見えているのかも知れないが、しかし創造における創造主の役割に対する私の認識は、一神教と多神教の両方の世界観に完全に共鳴する。神道には教義や理論はないから、誰かを傷つけるとか神道の儀礼に参加する資格を失うとかいった心配もしなくていい。日本で神棚のある家がどれだけ少ないか知ったら驚くだろう。小さいやつなら金物屋で50ドル以下で売っているが、それでも多くの日本人はそれを家に飾らないことにしている。時間のあるときにメールで注文することを検討してみても良いだろう ― 繰り返すが、これも何も心配は要らない。
最後に、他の回答でも説明されているが、日常の一部にできるごく基本的でごく個人的な儀式がある。しかしこれを信心深く/定期的にやっているような人は噂にも聞いたことがないので、この礼拝の捉え方が完璧とは言えないからといって、恥をかくことも処罰を受けることもない。
■回答者2(イギリス)
何が問題かというと、あなたが古代ギリシャの神々を崇拝したいと言っているようなものだって事ね。
神道は非常に古い、伝統的な宗教で、日本ですら適切に崇拝している人はごくごく少ないの。確かに神社はあるけど、今では文化的な理由で存在している。神道は今ではぼ神話みたいなものだから、何千人という人が訪れて祈りを捧げるにしても、実際に信仰している神に祈るというよりは幸運を祈っているのに近い。
あなたは、どこに住んでいようが、自分が選んだ宗教に参加できないことはない。ただ非常に難しくはなる。
他に日本の宗教としては禅仏教がある。調べてみると良いかも。
■回答者3
もちろんできるわ。神道は宗教というよりスピリチュアリティに近いもので、まず、実践するのに特定の人種や国籍である必要があるとはどこにも書かれていない。
日本に住んでいる西洋人で神道の実践と思想を受け入れる人は、私も含めてたくさんいる。神道の実践をするのに「対象物」は要らない。ただ神道について読んで、もしそれがあなたの心に響き続けるなら、その思想をあなたの日々の生活に取り込めばいいのよ。
翻訳元:Quora
誰でも参加できるスピリチュアル同好会とはちょっと違うと思うんですけどね・・・

神社仏閣 パワースポットで神さまとコンタクトしてきました (ひっそりとスピリチュアルしていますPart2)

■回答者1(アメリカ)
実践できるかって? 君が基本的な教義に通じて、自然が神秘的にして厳かなものだという考えを受け入れるなら、それが日常生活の一部になるのは避けられないことだと思う。私は総じて自分がキリストの福音の実践的な信者だと思っているが、しかし観客にして参加者という立場で「創造」の一部であることへの謙虚と感謝の念を抜きにして日々の生活は全く想像できない。神道はごく自然に私のアイデンティティの一部になっている。
日本人は儀礼にうるさいようだし、理屈から言えば神道の儀式を行うのには「正しいやり方」と「間違ったやり方」がある。しかし正しくやるための制限が1インチあるごとに、儀礼を間違える1マイルの余裕がある。次に会う日本人5人に、神社に礼拝に行った時の正しい一連の行動を聞いてみるといい。私はギャンブラーではないが、5人全員から同じ答えが返ってこないことに自分の全生活を賭けよう。
一番重要なのは、思うに、自然に対する注意深さを決しておそろかにしないことだ。単純な季節の移り変わりから、破局的な自然現象の衝撃まで、起こっていることに対する注意深い態度を保ち、存在することへの感謝の気持ちを保ち、そうした現象や状況が開示される可能性には更なる感謝を抱き、そしてその全てを通じて、自然の尊厳に対する脅威や畏怖の念を持ち続けることだ。
私は一神教的な枠組みで考えているから神道は異端的に見えているのかも知れないが、しかし創造における創造主の役割に対する私の認識は、一神教と多神教の両方の世界観に完全に共鳴する。神道には教義や理論はないから、誰かを傷つけるとか神道の儀礼に参加する資格を失うとかいった心配もしなくていい。日本で神棚のある家がどれだけ少ないか知ったら驚くだろう。小さいやつなら金物屋で50ドル以下で売っているが、それでも多くの日本人はそれを家に飾らないことにしている。時間のあるときにメールで注文することを検討してみても良いだろう ― 繰り返すが、これも何も心配は要らない。
最後に、他の回答でも説明されているが、日常の一部にできるごく基本的でごく個人的な儀式がある。しかしこれを信心深く/定期的にやっているような人は噂にも聞いたことがないので、この礼拝の捉え方が完璧とは言えないからといって、恥をかくことも処罰を受けることもない。
■回答者2(イギリス)
何が問題かというと、あなたが古代ギリシャの神々を崇拝したいと言っているようなものだって事ね。
神道は非常に古い、伝統的な宗教で、日本ですら適切に崇拝している人はごくごく少ないの。確かに神社はあるけど、今では文化的な理由で存在している。神道は今ではぼ神話みたいなものだから、何千人という人が訪れて祈りを捧げるにしても、実際に信仰している神に祈るというよりは幸運を祈っているのに近い。
あなたは、どこに住んでいようが、自分が選んだ宗教に参加できないことはない。ただ非常に難しくはなる。
他に日本の宗教としては禅仏教がある。調べてみると良いかも。
■回答者3
もちろんできるわ。神道は宗教というよりスピリチュアリティに近いもので、まず、実践するのに特定の人種や国籍である必要があるとはどこにも書かれていない。
参考:スピリチュアリティ - Wikipedia
日本に住んでいる西洋人で神道の実践と思想を受け入れる人は、私も含めてたくさんいる。神道の実践をするのに「対象物」は要らない。ただ神道について読んで、もしそれがあなたの心に響き続けるなら、その思想をあなたの日々の生活に取り込めばいいのよ。
翻訳元:Quora
誰でも参加できるスピリチュアル同好会とはちょっと違うと思うんですけどね・・・

神社仏閣 パワースポットで神さまとコンタクトしてきました (ひっそりとスピリチュアルしていますPart2)
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自然崇拝とかは、ホントに初期の初期の頃の話だけだと思う
本質は国家的なものだよ