海外Q&Aサイトの「日本人は性差別的?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(アメリカ)
「性差別」(セクシズム)の定義が、性別による違いや、その他役割を決めようとすることは何でも不快だということなら、そういう意味では日本は性差別的ね。性差別というのはそんな感じで、何でもかんでも含むこけおどしに過ぎない言葉になってしまっている。性差別とは、あなたの性がもう一方の性よりも優れているという考えで、これはレイシズムがあなたの種が他の種より優れているというのと同じ。そしてそれ以上の意味ではない。

男性と女性は違う。見た目も違うし、考え方も、強みも弱みも違う。男性と女性が一緒になることでお互いを讃え、完全なものとなるように出来ているの。これは私たちが平等ではないということではない。違いを不平等やステレオタイプ化とごっちゃにするのは間違い。私たちは違っていることが好きなのよ。

日本の男性が、女性は男性と同等じゃないと主張しているのは聞いたことがない。女性がそういう主張をするのは聞いたことがあるけど、彼女たちがそれで言いたいのは、男性みたいになりたくないし男性がやることをする必要がないって事よ。自分の性別の持つ特権が奪われると感じるのね。

日本では今も、男性と女性とを分けることが非常に深く根付いている。お互いに交際しないし、行事でも男性は男性、女性は女性で固まって話していることが多い。日本の文化は相手のジェンダーを常にはっきり意識しているといったもので、これは従うべき礼儀やエチケットのルールが沢山あるから。この点では、150~200年前のヨーロッパの文化と大して変わらない。

ジェンダーによる役割は非常に明確に定義されていて、子供には小さな頃から教えられる。ひな祭り(3月3日)には若い夫婦の人形を嫁入り道具や従者ともども飾り、こどもの日(5月5日)には鯉のぼりを飾る。鯉のぼりのてっぺんの色とりどりの吹き流しは神を表していて、その下には父を表す一番大きな魚(通常は黒、青、または緑)、母を表す小さな魚(ピンクまたは黄色)、そして子供たちが年齢順に並ぶ(色は親と同じでジェンダーによって決まる)。

女性が自分の意志で家に留まって子供の面倒を見るという選択をすることは、全く性差別的ではない。女性ができるのはそれだけだと社会的に考えられていて、他のことをするのを禁じるなら、それは性差別。

誰が何をするべきかについて、家族と社会が混乱せず議論もしないで円滑に動けるように、明確に定義された役割があるということも、性差別ではない。役割から外れると罰を受けるということであれば、それは性差別。でも日本では、特に若い世代ではそういうことはない。

いくつかの点では、西洋よりも日本の方が女性は尊重されている。多くの場合、女性は財布の紐を握っている。米国では、男性が給料を全部使おうとして妻には絶対渡さないという態度が見られるけど、日本には存在しない。一般に女性はマネージャーであり、裏に隠れた真のボスだと考えられている。男性は女性がいないと何もできないし、こだわりなしにそれを認める男性も何人も知ってる。日本の成功の原因として女性の経済管理を上げるのもよく耳にした。ただこれは、倹約という伝統的な価値観が現代のケインズ的な債務ベースの経済とは衝突するものだから、やがて経済が悪くなると仇となったけれど。

女性に対して偏見を抱いている人は、いつでも、どの文化にもいるわ。でもそれは多数派じゃあない。



■回答者(中国)
面白い話をしよう。数年前、60歳ぐらいの日本人のクライアントがいた。彼は中国南部にある我が社のサプライヤーを訪れるため中国に来た。運転手が山道で迷ったので、私はサプライヤーの女の子に電話して道を教えてくれと頼んだ。ところが運転手は道が分からず、私たちはどんどん不安になってきた。

すると後部座席にいた日本人のクライアントが怒って、一体誰と話してるんだと聞いた。私は混乱しながら、サプライヤーのスタッフに道を聞いたと説明した。すると彼は驚くべき問いを発した。「女だろう?」そうだ、と答えたのに対して彼が言った言葉は一生忘れられない。「なぜ女に聞いたんだよ。女はなにも知らない」

この男性は、第2次大戦前後に生まれた彼より年上の日本人男性たちと同じ考えなのだと思う。文化的な理由から、東アジア諸国の男性は女性が男性より劣っていると信じている。特に日本と韓国ではそうだ。中国でも似た考えはあったが、毛沢東が権力を握って以来、女性の社会的地位は大幅に改善された。

とは言え、日本の若い世代の間では性差別はなくなってきている。



■回答者3(ドイツ)
私の夫は漁師町の出身で、伝統的に日本の漁村では誰もが誰かに頼って生きているから、上下関係というものが入り込む余地がない。だから、仕事の分業はあっても男性が女性より上だという考えも全くない。私たちは当時九州の、昔は貿易が盛んだったある県に住んでいて、そこはまずまずだった。ところが九州の別の県に引っ越したら、そこは伝統的に農業が盛んで、また昔は臣下を細かいところまで管理したがる力の強い封建領主がいた所だったので、私たちは二人ともカルチャーショックを受けた。ここでの上下関係は、先輩のような上の人間が神のごとく崇拝され恐れられるというレベルなのよ。そして私はこの土地ほど、女性である自分が二流の存在、いえ、外国人女性として四流の存在だと感じたことはなかった。私が駐車場が変わったことを知らなくて間違った場所に停めたら、前の家主が夫のところに文句を言いに来たりとかね。あと、子供の担任の先生が日本の北の方の出身で、一度長い話をしたことがあった。彼女も九州で性差別に遭うことになりカルチャーショックを受けたと言っていた。それから私の友達は自分の結婚式で痴漢に遭って、先日はついこの間もまた痴漢されたと言っていた。九州は今でも恐ろしく性差別的よ。



翻訳元:Quora



個人の経験を言い出せば色々あるんでしょうけど。



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日本のジェンダーを考える (有斐閣選書)



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