海外Q&Aサイトの「日本でホストやホステスとして働いたことある? ああいう仕事についてどう思う?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(フランス)
「どんな感じだったか」じゃなくて「どう思うか」の答えになるかは分からないけど。

お高いキャバクラではなくて、ホステスがお客さんとお酒を飲む、カウンターと3つのボックス席、カラオケルームのある小さいお店だった。

そこで2011年から2013年にかけて働いていた。この種の仕事には経験がなかったし、外国人も私一人だったけど、多分ママが私の友達の友達だったこと、あと初めは男友達(ゲイ)がそこで「ボーイ」として働いていたので、私を雇ってくれた。

お店は午後8時から午前1時までやっていた。タイムカードがあって、働いた時間だけ給料はきっちり支払われた(私は時給2,000円だった)。たまにお店が忙しくない時は、ママが女の子たちを早めに帰らせてくれた。

ドレスを着なくちゃいけなかったんだけど、バーのクローゼットから自分のカジュアルなドレスか本物のホステスのドレスを選ぶことができた。バーの開店記念日とかの特別な時はホステスのドレス(または着物)に決まっていた。私にとってはカーニバルで変装しているみたいな感じだった! あとたまに浴衣を着ることもあった(6月のとうかさん大祭の間)。

参考:
「とうかさん(稲荷参)は広島県広島市中区三川町にある日蓮宗の寺院、福昌山 慈善院 圓隆寺(ふくしょうざん じぜんいん えんりゅうじ)のこと。」
とうかさん - Wikipedia

名前はニックネームを選ぶか本名を使うことができた。私はニックネームを選ぶのが面白かったのでそうした。選んだのはリリー。ママが私の名前を書いた名刺を作ってくれた。新しいお客さんには名刺を渡さなければならなかった。

で、仕事はどんな感じだった?

新しいお客さんがお店に入ってきたら、大きな声で「いらっしゃいませ!」と言わなければならない。ママが女の子を何人か呼ぶ。女の子の数はお客さんの数によって決まって、ママはその時空いている子、お客さんと馴染みになっている子、お客さんの好み(たぶん会話のスキル、性格、年齢、身体的特徴)に合うと思った子を選んだ。女の子をテーブルの間で入れ替えることもあった。ママもそれぞれのお客さんの集団と少し過ごしていた。

手が空いている子が十分いる場合、他の子たちはテーブルの準備をする:コースターやグラス、角氷、チャーム(スナックの入った小皿)を準備したり、お客さんの上着やスーツケースを受け取ったり、温かいおしぼりを渡したりする。テーブルにつくと、私たちはお酒を出したり、煙草に火をつけたり、定期的にグラスの水滴を拭いたり、吸い殻が一定の数を超えたら灰皿を替えたり、あとはお話をしたり、カラオケにいる時は一緒に歌ったりする。お客さんからお酒を奢ってもらうこともあるし、自分から頼むこともできる。乾杯を言う時は自分のグラスは両手で持って、お客さんのより低く掲げて「いただきます!」と言わなければならない。お客さんの前では煙草を吸うことも、脚を組むことも禁止。背筋も伸ばしていないといけない。

女の子が忙しくない時は、小さな厨房にいてお酒を持ち込んだり、グラスを洗って拭いたり、チャームの準備をしたり、あとお客さんが特定の要求をした時には食べ物や飲み物、煙草の宅配に電話する。例えば新鮮な果物とかね。固定客を呼び出したり、晩のうちに一緒に夕食に行く(「同伴」という)子もいたけど、幸い私はそうしろとか、あとお店の掃除をするために早めに出勤しろとか言われたことはなかった(ガイジン特権だったのか、単に私が日中も働いていることをママが知っていたからなのか? 不明)。

お客さんが帰る時は、女の子とママはビルの前まで見送りに出て、姿が見えなくなるまでお辞儀をしていないといけない。

どんなお客さんが来るの?

大抵はサラリーマン、たまに土方、大親分、年齢は20代から80歳以上まで! もっと驚くのは、お坊さんの大集団も何度か来た! そしてすごくお行儀が悪かった。ずっと女の子のお尻を触ろうとしてた。一度なんか、パンツを下ろしていなりずしを・・・そのまあ、先っぽに乗せて、元気よくこう言ったわ。「串刺しのいなりずし食べたい人?」

楽しかったことも何度かあって、会話が弾んで笑ったこともあったけど、大抵の話は本当に気の滅入る、ムカつく、低俗なものだった。話していても性差別と、女の子や外国と外国人に対する偏見に満ち満ちていたので、日本で暮らしていて日本人と男性が一番嫌いな時期だった。

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私はいつも偏見と誤解だらけの同じ質問をされていた(今はもうそこで働いていないので、何も問題はない。沢山出かけて沢山の人を知って、沢山の他人と会ったけど、あの手の人たちは日本で滅多に見かけない)。

お客さんは私たちにどんな事をしたかって?

お客さんが脚を触ったり、性的でチャラいことをしても気にしない子もいたけど、そうしなければならない訳では全然ない。私は一度もお客さんに体に触れさせなかった。食べ物を口に運んでもらいたいとか、逆に私たちの口に運びたいとかいうお客さんもいた。この行為にどういう意味があるのか、なぜそんなに好きなのか私にはさっぱり分からなかったんだけど、女の子もお客さんもこれをよくやっていた。

どんな子が働いているの?

実際すごくクールな子たちで(私たちは皆非常に仲良くやっていて、私より1つだけ年上のママもそうだった)、ほとんどは30代(1人か2人は20代)、大抵は楽しくて会話のスキルがあるという理由で採用されていて、特に美人というわけではなく、2人はちょっとデブだった。お客さんの多くは、会話が楽しいからこの店が好きだと言っているって聞いた。1人だけ、一番若い、当時19歳の子が、ホステスのドレスを着てホステスの髪型をして、ちょっと「ぶりっ子」(可愛いけどあまり賢そうではない態度)をしていた。

フルタイムで働いている子もいたけど、大抵は別に定職があった。1人、今でもそのお店で働いているけど、旦那さんに嘘をついて居酒屋で働いているふりをしている子もいた。私と一番仲良しだったのはヨガのインストラクターで、自分のヨガスタジオも持っているんだけど、たまにそのお店でも働いていた。

私は1年目は金曜と土曜に出ることが多くて、2年目は金曜だけにして、そのうち嫌になってきたので、給料も良い新しい仕事が見つかるとお店は喜んで辞めた(実際私がそのお店で働いたのはお金を稼ぐためだけではなくて、「バイト」をするという経験が面白そうだと思ったからで、友達がそのお店が雇ってくれると言うので好奇心から始めた)。



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■回答者2(アメリカ)
ホステスのいるクラブではなくてガールズバーならある。ガールズバーというのは、似たようなものだけど女の子とお客さんの間にカウンターがあって、クラブよりは大抵安い。

私は去年2ヶ月ぐらい、インターナショナル・ガールズバーで働いた。貴重な、でも有意義ではない経験だった。私は副収入を稼ごうを思っているただのナイーブな女の子だった。私の学生ビザだと違法だから本当は雇うのもいけなかったんだけど、でも絶対未成年の子も働いていた筈で、お店は気にしなかった。

夜は大抵8時に始まって、始発電車が来る朝の4時半に終わった。大抵は表でお客さんを呼び込もうとすることから始まって、それから中に入ってお客さんと会話をした。英語を話すインターナショナル・バーだったので、沢山の外国人と、あとは可愛い外国人の女の子と話したいと思っている英語のほぼ話せない日本人の男性を呼び込んでいた。

関連記事:
外国人「中国人や韓国人は英語が上手いのに、なぜ日本人はほぼ全員が英語を全く話せないの?」

いつもすごくドラマチックだったわ。女の子たちはよく口論してた。お客さんをトイレに連れ込む習慣のある子がいて、何をしているのかは神のみぞ知るだった。私自身も酔っ払いすぎてお店から追い出されたことが何度かあって腹が立った。東京だって夜中には若い女性が出歩くものじゃないんだから。セクハラは何回もされた。路上では男にいやらしい声をかけられたし、バーの中ではよく触ったりキスされたけど、私は酔いすぎてて気づかないこともあった。私たちはこういう男性たちを沢山抱え込んでおいて、気を惹き続けるためにメールを送らなければならなかった。中には惹きつけられすぎてしまう男性がいて、そうするとメールをするのもキモくなった。私は誰かさんが夢に見るようなキャラクターになる必要があったわけ。

長い夜勤の終わる頃にはのぼせ上がっちゃって、彼女になってくれと頼んだり、私がやらせてくれないとめそめそ言ったり、タイに旅行に行こうとかよく言ってた。で次の日には私のことは完全に忘れて、私も彼らのことは忘れた。お酒を沢山おごってくれる次のお客さんの方が優先。おごらせる度に200円の給料が出るのよ。大した額じゃないと思えるけど、私は一晩で15杯はおごらせてた。酔ったふりをして一晩中ジンジャーエールだけ飲んでいる子もいた。でも私は違った。本当に酔っ払っていた。ただでアルコールを勧められると断れなかった。

アル中が急激に進行している時ってどうすればいいの? 私はいつも早く家に帰りたいと言っていたけど、お客さんは聞かなくて4時まで付き合わせた。その頃になると私は倒れて寝ちゃうんだけど、でも4時間後には授業もあった。よく露出度の高い服にヒールで、娼婦になったような気分で、私ほど酔っていない人にどう見られるか分かっていながら電車に乗ってた。何度か電車の中でぐっすり寝ちゃって横浜まで行って目が覚めた。

私生活は崩壊し始めていた。学校も余り行かず宿題もやらなくなり、彼氏との関係もぎこちなくなった。初め彼は、女は簡単に稼げるから羨ましいって言って、ガールズバーで働くのを勧めてくれたのに、すぐに私がお店のことを話すと怒って嫉妬するようになった。私がお店を追い出されるか自分のアパートの部屋の鍵を忘れるかして、酔って道をさまよっているところを、何度か見つけに来てくれたことがあった。

たった2ヶ月で辞めて良かったわ。本当に大きな損失だった。何年も働いている女の子もいたけど、私には制御できなかった。飲み過ぎも、べたべた触ってくるキモい男も、私には悪影響が大きすぎた。自分の経験を後悔はしてない。全然。楽しい話や忘れられない瞬間もあったし、幾晩かはぶっ通しのパーティーで、これがずっと続けば良いのにと思った。人間を変える人生経験の一つだった。良いにしろ悪いにしろ、私は確実に変わった。



翻訳元:Quora



適量を守って楽しく。



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