海外Q&Aサイトの「なぜアーミッシュは現代のテクノロジーを恐れているの?」という質問から、回答をご紹介。
■回答者1(アメリカ)
アーミッシュの非常に大きなコミュニティのすぐ近くに住んでいる。
他の人たちの回答は完全に正しくて、私もテクノロジーを恐れているアーミッシュの人には会ったことがない。日常生活で現代のテクノロジーの多くを欲しいと思わない人には沢山会った。
あるアーミッシュの女性 ― 赤ちゃん連れの! ― と話していた。彼女はボブキャット(※アメリカの建設機械メーカー)の積込機のバケットに洗濯かごを乗せて出発した。
地元の図書館でアーミッシュがパソコンを使っているのも見たことがある。
陽気な紳士がミシンを修理して、発電機を点けてミシンのコンセントをつなぐところにも居合わせたことがある。同じ人が、自分の電話の置いてあった小屋に入って行って電話をかけるのも見た。
彼らは現代のテクノロジーを恐れてはいない。現代のテクノロジーを使ってはいて、だけどいつも馬に熊手をつないで引っ張ったり、馬車の車輪に油を注したりしていると思われている。彼らが実際に恐れているのは、人生が一番新しくて大型で立派な車に乗っ取られること ― 人生が電子機器によって散漫になること ― 人生にテクノロジーを通して世間が絶え間なく押し入ってくることなのよ。恐れているのは、高慢と物質的欲望と心の乱れに満ちた人生で、彼らにしてみると、これらはiPadやスポーツカーに本来的に備わっている。
彼らのやり方に賛成かと言うなら、しない。彼らは偏執症なのかと言うなら、違う。
■回答者2(アメリカ)
アーミッシュがテクノロジーそれ自体を恐れたり、拒絶したり、その他特に何らかの感情を抱いていると考えるのは間違いだ。彼らの宗教では、「世俗」から離れることが求められる。だから、テクノロジーの問題じゃあない。世間全般とのつながりを断つこと、「装飾的」なものを拒絶することなんだ。
地域のアーミッシュの教会(通常、25家族ぐらいから成る)は、それぞれが信徒の従うべき規則を作っていて、前述の要求をそれぞれ違ったふうに解釈している。一般的には公共の電気は使おうとしない(世間との「つながり」なので)が、ソーラーパネルを使う人は多い、といった具合だ。
オハイオ州では、アーミッシュの多くが熱烈なバードウオッチャーだ(私もそうだ)。アーミッシュのバードウオッチャーが、光学テクノロジーの頂点、2,500ドル(※約2万8000円)するスワロフスキーのELシリーズの双眼鏡を見せびらかしているのを見るのは珍しくない。事実、オハイオで一番有名な野鳥観察機器のディーラーはミラーズバーグ、アーミッシュの地域のど真ん中にある。(店の明かりはガス灯だ!)
■回答者3
なぜ大抵の人はアーミッシュの生活をしないのか?

恐らく、魅力的に見えないからじゃないかと思う。現代のテクノロジーの快適さなしで生きたいと誰が思う? Wifi接続とポケットにはスマホを常時入れておかないなんて想像できるか?
洗濯機なしで洗濯をするなんて想像できるか? 掃除機なしで家の掃除をするとか? 発電機の付いた乗り物なしでどこかへ行くとか? 現代の様々な娯楽なしで生きるとか? 等々。
僕らがこうした文化的な設備のない生活を想像できないのは全く正しい。それに取り囲まれて育ったのだし、それが日常生活の望ましい一部だということを受け入れるように社会的に適合させられ(そして正当化され)てきたのだから。実際そうだし、僕自身もインターネットなしで2、3日も過ごしたら、火がついて燃えだして燃え尽きる自信がある。
しかしアーミッシュは、これとは違った環境、違った社会規範の中で育っている。子供たちは、僕らが望ましいと思うのとは違ったものを望ましいと思うように教えられる。確かに僕らには実際的でない、後ろ向き、馬鹿げてる等々に見えるかもしれないが、それが彼らの生き方で、その生き方を守ることを選んでいるんだ。
彼らがそういうふうに生きたいと望み、そして誰のことも傷つけない限り、好きな生き方をさせておくのは何も問題はない。
■回答者4(バングラデシュ)
多くのアーミッシュは現代のテクノロジーに複雑な気持ちを抱いていて、最近の僕の経験からすると、携帯電話やインターネットに関しては恐れのようなものを感じている人が多い。
この理由は、アーミッシュがどうやって生計を立てているかに関係している。昔はアーミッシュは大抵が農民で、そのため利益を上げて生計を立てるのに現代のテクノロジーを使う必要がなかった。事実、アーミッシュの低コストの農法は競争優位になることも多かった。
しかしアーミッシュの人口が農業を追い越すと、つまり農業の仕事のある農場よりもアーミッシュの数が増えてくると、多くのアーミッシュは生きるために現代のテクノロジーを必要とする仕事をせざるを得なくなった。
例えばペンシルベニア州ランカスターでは、多くのアーミッシュが生活のために家具作りや工芸、建設に携わるようになっていて、そのために携帯電話やインターネット、電気を使わなければならないことが多い。
■回答者5(アメリカ)
恐れてはいない。拒絶しているんだ。彼らは19世紀後半に、当時の新しいテクノロジー(電話、電報、列車、自動車等)が余りに雑念を起こさせ、世間に深く引きずり込んでしまうため、キリストの信仰を正しく実践できなくなると考えて、メノナイトから分離した。そのため、例外はあるものの(私の知っているアーミッシュの店はどこもパソコンがある。今ではパソコンなしでビジネスはできない)、アーミッシュは厳格に1880年代のテクノロジーで生活している。彼らを見て驚くかもしれないが、しかしそのライフスタイルには羨むべき点も多々ある。
■回答者6(アメリカ)
長いが興味深い話を一つ。
アーミッシュの製材所に、木製の荷台を注文しに行った。オーナーはいたが実際の仕事をしているのはその息子で、あと1時間しないと戻らないというので私は待った。ありきたりのことについて、楽しい会話をした ― 天気がどうとか、今年の作物の出来はどうかとかだ。その会話の流れで、私が機械工で、彼のディーゼル・エアコンプレッサーが壊れているということが分かったので、私たちは建物の中に入って、私はコンプレッサーを調べた。そして彼に、アーミッシュと電気についての考え方を説明してくれと頼んだ。
彼の答えはこうだった。電気はどんな意味でも「悪い」ものでも「邪悪な」ものでもない。ただ人生の中で最も大事なことにとって、電気は大抵「不要」だ。必要なものと不要なものの間のどこに線を引くのか? 彼は電灯を例に上げた。電灯を導入するのは簡単だし、そうすればいつでもどこでも必要な際に明かりが手に入るようになる。ところがそうなると無意識的に、日中にやる筈だったことを、今できるのに後回しにするようになる。その結果、人生は徐々に変わって行く可能性がある。それも全く気づかないうちに、そして自分の最大の関心事と幸福とは相容れない形で変わって行くかもしれない。だから多くの人は、たとえ職場では電気を使っていても、自分の家には電気を入れないことにしている。
いずれにせよ、以上が一人のアーミッシュのビジネスオーナーとの会話の私なりの理解で、彼らがテクノロジーを「恐れて」いるという印象は一切受けなかった。単純に、人生にはもっと大事なことがあって、現代のテクノロジーはそれを隙あらば奪おうとする傾向があると信じているのだ。
私はコンプレッサーを修理して、彼の息子が(トラクターに乗って)現れたのでビジネスの話をした。私が帰る前に父親は、コンプレッサーの修理との交換に一束のスイートコーンを摘んできてくれたので、ありがたく受け取った。
翻訳元:Quora
それほどガチガチというわけでもないんですね。
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アーミッシュ料理
参考:
「アーミッシュ(英語: Amish[2]、ドイツ語: Amische[3])は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州・中西部などやカナダ・オンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。」
「アーミッシュは移民当時の生活様式を守るため電気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話など)も家庭内にはない。原則として現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、近代以前と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいる[6]。自分たちの信仰生活に反すると判断した新しい技術・製品・考え方は拒否するのである。」
アーミッシュ - Wikipedia
■回答者1(アメリカ)
アーミッシュの非常に大きなコミュニティのすぐ近くに住んでいる。
他の人たちの回答は完全に正しくて、私もテクノロジーを恐れているアーミッシュの人には会ったことがない。日常生活で現代のテクノロジーの多くを欲しいと思わない人には沢山会った。
あるアーミッシュの女性 ― 赤ちゃん連れの! ― と話していた。彼女はボブキャット(※アメリカの建設機械メーカー)の積込機のバケットに洗濯かごを乗せて出発した。
地元の図書館でアーミッシュがパソコンを使っているのも見たことがある。
陽気な紳士がミシンを修理して、発電機を点けてミシンのコンセントをつなぐところにも居合わせたことがある。同じ人が、自分の電話の置いてあった小屋に入って行って電話をかけるのも見た。
彼らは現代のテクノロジーを恐れてはいない。現代のテクノロジーを使ってはいて、だけどいつも馬に熊手をつないで引っ張ったり、馬車の車輪に油を注したりしていると思われている。彼らが実際に恐れているのは、人生が一番新しくて大型で立派な車に乗っ取られること ― 人生が電子機器によって散漫になること ― 人生にテクノロジーを通して世間が絶え間なく押し入ってくることなのよ。恐れているのは、高慢と物質的欲望と心の乱れに満ちた人生で、彼らにしてみると、これらはiPadやスポーツカーに本来的に備わっている。
彼らのやり方に賛成かと言うなら、しない。彼らは偏執症なのかと言うなら、違う。
■回答者2(アメリカ)
アーミッシュがテクノロジーそれ自体を恐れたり、拒絶したり、その他特に何らかの感情を抱いていると考えるのは間違いだ。彼らの宗教では、「世俗」から離れることが求められる。だから、テクノロジーの問題じゃあない。世間全般とのつながりを断つこと、「装飾的」なものを拒絶することなんだ。
地域のアーミッシュの教会(通常、25家族ぐらいから成る)は、それぞれが信徒の従うべき規則を作っていて、前述の要求をそれぞれ違ったふうに解釈している。一般的には公共の電気は使おうとしない(世間との「つながり」なので)が、ソーラーパネルを使う人は多い、といった具合だ。
オハイオ州では、アーミッシュの多くが熱烈なバードウオッチャーだ(私もそうだ)。アーミッシュのバードウオッチャーが、光学テクノロジーの頂点、2,500ドル(※約2万8000円)するスワロフスキーのELシリーズの双眼鏡を見せびらかしているのを見るのは珍しくない。事実、オハイオで一番有名な野鳥観察機器のディーラーはミラーズバーグ、アーミッシュの地域のど真ん中にある。(店の明かりはガス灯だ!)
■回答者3
なぜ大抵の人はアーミッシュの生活をしないのか?

恐らく、魅力的に見えないからじゃないかと思う。現代のテクノロジーの快適さなしで生きたいと誰が思う? Wifi接続とポケットにはスマホを常時入れておかないなんて想像できるか?
洗濯機なしで洗濯をするなんて想像できるか? 掃除機なしで家の掃除をするとか? 発電機の付いた乗り物なしでどこかへ行くとか? 現代の様々な娯楽なしで生きるとか? 等々。
僕らがこうした文化的な設備のない生活を想像できないのは全く正しい。それに取り囲まれて育ったのだし、それが日常生活の望ましい一部だということを受け入れるように社会的に適合させられ(そして正当化され)てきたのだから。実際そうだし、僕自身もインターネットなしで2、3日も過ごしたら、火がついて燃えだして燃え尽きる自信がある。
しかしアーミッシュは、これとは違った環境、違った社会規範の中で育っている。子供たちは、僕らが望ましいと思うのとは違ったものを望ましいと思うように教えられる。確かに僕らには実際的でない、後ろ向き、馬鹿げてる等々に見えるかもしれないが、それが彼らの生き方で、その生き方を守ることを選んでいるんだ。
彼らがそういうふうに生きたいと望み、そして誰のことも傷つけない限り、好きな生き方をさせておくのは何も問題はない。
■回答者4(バングラデシュ)
多くのアーミッシュは現代のテクノロジーに複雑な気持ちを抱いていて、最近の僕の経験からすると、携帯電話やインターネットに関しては恐れのようなものを感じている人が多い。
この理由は、アーミッシュがどうやって生計を立てているかに関係している。昔はアーミッシュは大抵が農民で、そのため利益を上げて生計を立てるのに現代のテクノロジーを使う必要がなかった。事実、アーミッシュの低コストの農法は競争優位になることも多かった。
しかしアーミッシュの人口が農業を追い越すと、つまり農業の仕事のある農場よりもアーミッシュの数が増えてくると、多くのアーミッシュは生きるために現代のテクノロジーを必要とする仕事をせざるを得なくなった。
例えばペンシルベニア州ランカスターでは、多くのアーミッシュが生活のために家具作りや工芸、建設に携わるようになっていて、そのために携帯電話やインターネット、電気を使わなければならないことが多い。
■回答者5(アメリカ)
恐れてはいない。拒絶しているんだ。彼らは19世紀後半に、当時の新しいテクノロジー(電話、電報、列車、自動車等)が余りに雑念を起こさせ、世間に深く引きずり込んでしまうため、キリストの信仰を正しく実践できなくなると考えて、メノナイトから分離した。そのため、例外はあるものの(私の知っているアーミッシュの店はどこもパソコンがある。今ではパソコンなしでビジネスはできない)、アーミッシュは厳格に1880年代のテクノロジーで生活している。彼らを見て驚くかもしれないが、しかしそのライフスタイルには羨むべき点も多々ある。
参考:
「メノナイト(英: Mennonite、メノー派)は、メノ・シモンズの名前に因んで名付けられたキリスト教アナバプテストの教派である。」
メノナイト - Wikipedia
■回答者6(アメリカ)
長いが興味深い話を一つ。
アーミッシュの製材所に、木製の荷台を注文しに行った。オーナーはいたが実際の仕事をしているのはその息子で、あと1時間しないと戻らないというので私は待った。ありきたりのことについて、楽しい会話をした ― 天気がどうとか、今年の作物の出来はどうかとかだ。その会話の流れで、私が機械工で、彼のディーゼル・エアコンプレッサーが壊れているということが分かったので、私たちは建物の中に入って、私はコンプレッサーを調べた。そして彼に、アーミッシュと電気についての考え方を説明してくれと頼んだ。
彼の答えはこうだった。電気はどんな意味でも「悪い」ものでも「邪悪な」ものでもない。ただ人生の中で最も大事なことにとって、電気は大抵「不要」だ。必要なものと不要なものの間のどこに線を引くのか? 彼は電灯を例に上げた。電灯を導入するのは簡単だし、そうすればいつでもどこでも必要な際に明かりが手に入るようになる。ところがそうなると無意識的に、日中にやる筈だったことを、今できるのに後回しにするようになる。その結果、人生は徐々に変わって行く可能性がある。それも全く気づかないうちに、そして自分の最大の関心事と幸福とは相容れない形で変わって行くかもしれない。だから多くの人は、たとえ職場では電気を使っていても、自分の家には電気を入れないことにしている。
いずれにせよ、以上が一人のアーミッシュのビジネスオーナーとの会話の私なりの理解で、彼らがテクノロジーを「恐れて」いるという印象は一切受けなかった。単純に、人生にはもっと大事なことがあって、現代のテクノロジーはそれを隙あらば奪おうとする傾向があると信じているのだ。
私はコンプレッサーを修理して、彼の息子が(トラクターに乗って)現れたのでビジネスの話をした。私が帰る前に父親は、コンプレッサーの修理との交換に一束のスイートコーンを摘んできてくれたので、ありがたく受け取った。
翻訳元:Quora
それほどガチガチというわけでもないんですね。
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