海外Q&Aサイトに「なぜ大日本帝国(the Japanese Empire)は1592年から第2次大戦まで朝鮮半島に強い関心を持っていたの?」という、よくわからない質問があったので回答をご紹介。わからなすぎて書き込んでしまった管理人の回答も併せてどうぞ。
■回答者1(韓国)
朝鮮を征服することを主張する、影響力の強い思想家がいたんだ。彼らはモンゴルと高麗の同盟軍が日本を征服しようとしたことを正当化の理由に挙げたが、単に拡張主義的な精神を持っていただけだ。
彼らは日本の成長には領土の拡張が最重要で必須だと考えていた。
中には今日でも日本人が非常に称賛する思想家もいる。
安倍晋三首相を含む今の日本の右翼は、その延長線上にいる。そして当時と同じく、日本には拡張主義者を阻む仕組みがない。
(※以下、Wikipediaへのリンクは日本語版に張り替えています。)
林鵞峰 - Wikipedia
林子平 - Wikipedia
本多利明 - Wikipedia
佐藤信淵 - Wikipedia
吉田松陰 - Wikipedia
橋本左内 - Wikipedia
板倉勝静 - Wikipedia
勝海舟 - Wikipedia
佐田 白茅
Ueno Kaginori(※不詳)
板垣退助 - Wikipedia
福澤諭吉 - Wikipedia
木戸孝允 - Wikipedia
内田良平 (政治運動家) - Wikipedia
■回答者2(アメリカ)
帝国には二つの大きな目標がある。資源を獲得することと、人に課税することだ。朝鮮にはいくばくかの資源があり、大量の人間がいた。
ローマ人は、みんなにローマ人になってほしくて北アフリカや中東、ヨーロッパを征服したわけではない。ローマに納税してほしかったからそうしたんだ。日本も同じだ。
■回答者3(アメリカ)
日本の朝鮮侵略には、別々ではあるが結びついている二つの作戦が含まれる。初回の侵略は1592年で、1596年に短い休戦を挟んで、1597年に第二の侵略があった。この衝突は軍事的な膠着状態に陥った後、1598年に朝鮮南部の沿岸州で日本軍が朝鮮半島から引き上げて終結した。
侵略を始めたのは豊臣秀吉で、彼は朝鮮半島と中国を征服しようという意図を持っていた。これらはそれぞれ、李氏朝鮮と明朝が支配していた。日本は朝鮮半島の大部分をすばやく占領することに成功したが、明が援軍を提供したこと、そして朝鮮海軍が西岸および南岸で日本の補給艦隊を分断したことで、日本軍は平壌と北方の諸州から、まだ日本人が漢城(今のソウル)と南東地方を支配していた南へと引き上げることを余儀なくされた。その後、義兵(朝鮮の民兵)が日本人に対するゲリラ戦を仕掛け、両軍が補給不足で動けなくなると、日本軍も明・朝鮮連合軍も攻撃を仕掛けたり領土を獲得したりすることができなくなり、その結果、漢城と開城の間の地帯で軍事的膠着状態に陥った。侵略の第一段階は1592年から1596年まで続き、その後1596年から1597年までに日本と明の間で和平交渉が行われたが、ついに実を結ばなかった。
1597年、日本は二度目の朝鮮侵略で新たな攻撃を仕掛けた。二度目の侵略のパターンは、大部分が一度目のそれと同じだった。日本人は序盤は陸戦で成功を収め、いくつかの都市と砦を獲ったが、結局は足を止め、半島南岸地域へと引き返さざるを得なくなった。しかしこれを追った明と朝鮮の軍隊は、南岸地域の砦と壕で固めた地点から、日本人を退陣させることができなかった。両軍はふたたび、朝鮮南岸で10ヶ月におよぶ軍事的膠着状態に陥った。
1598年の秀吉の死により、陸上ではわずかしか進捗がなく、また朝鮮海軍により補給線を幾度も分断されていた朝鮮の日本軍は、新たな五大老によって引き上げるよう命じられた。その後最終和平交渉が行われ、7年にわたって続いた末、最終的に関係の正常化が実現した。

■回答者4
朝鮮半島南端の釜山は、アジア大陸から日本への最接近点だ。モンゴルの日本侵略の足がかりであり、また1592年の日本の朝鮮侵略の上陸地点でもあった。
1592年には、日本は統一されアジア大陸への拡張に目を向けていた。朝鮮は当然の次の段階だった。次の段階としてはそれが現実性のある唯一のものだったと言ってもいい。朝鮮はかなり豊かな地域だった。また市民の暴動、派閥抗争、粛清と苦闘していた。朝鮮は中国の従属国だったが、中国は北方ではモンゴルに、西南では反乱に力を割かされていた。
第2次大戦の時は、朝鮮半島は鉄、タングステン、亜鉛、銅、金鉱石があることで知られていた。また良質の石炭の鉱床もあった。こうした資源は、貧しい日本には喉から手が出るほど欲しいものだった。鉄と石炭は、日本の鉄鋼の需要にとって不可欠だった。
■回答者5(管理人)
この質問がいくつかの明らかに誤った前提に基づいていることを、誰も指摘していないので驚いた。
第一に、1592年に「大日本帝国」は存在しない。回答者3が言うように豊臣秀吉が1592年に半島を侵略したのは確かだ(彼の主要目標は朝鮮ではなく明だったけれども)。しかし彼は日本の天皇ではなかったし、日本は帝国ではなかったし、当時の誰も日本を帝国と思ったり呼んだりはしていなかった。
日本人はいつも自国を、今と同様に「日本」または「日本国」(Japan)と呼んでいて、1854年に調印された日米和親条約で初めて「帝國日本」(Empire of Japan)を使った[1]。したがって、1592年時点で大日本帝国が「関心」や何かを持っていたと言うのは、明らかに時代錯誤だ。
秀吉が明を征服しようと思った理由については今も議論があり、単に彼が狂っていたというものも含めてさまざまな説がある。唯一、私たちが事実として受け入れられるのは、彼の試みはあまりに奇妙で例外的なもので、それ以降の江戸時代の日本の支配者の誰も同じことを試みなかったほどだということだ。
これが第二の論点に繋がる:秀吉の野望は、19世紀後半に始まった日本による朝鮮併合の過程とは何の関係もない。質問は、まるで日本が300年間絶えず朝鮮を侵略しようとしていたかのように言っているが、これは歴史的な事実からはほど遠い。日本は、外国との公的な関係も貿易も大幅に制限された、歴史上最も内向的な時代だったからだ。
回答者1は江戸から明治にかけてのナショナリスト/拡張主義者の良い一覧を提供してくれている。しかしその中の一人でも「日本は今度こそ秀吉の夢を実現しなければならない!」みたいなことを現実的に考えていたとはまず思えない。では、なぜ19世紀後半になって突然行動に移したのか? 理由は簡単:ロシア。朝鮮の王朝はひどく腐敗していてロシアが日本にとって最大の現実的な脅威になったため、ロシアの南下を止める必要があったのだ。
したがって、日本が朝鮮半島を征服しようとしたのは歴史上2回だけで、その2回の試みの間に継続的な野望などはなかったというのが歴史的な事実だ。悪いけれども、スレ主は日本と朝鮮の歴史についての非常に基本的な知識を欠いているか、誤解しているか、あるいはもっと悪くすると、読者に何らかの印象を与えようとしていると言わざるをえない。
脚注:
[1] 大日本帝国 - Wikipedia
翻訳元:Quora
自分で書いたのを訳すのは不思議な感じでした。
関連記事:
外国人「日本の学校は朝鮮出兵も731部隊も教えてないって本当?」
韓国人「侵略の歴史を知らない無知な日本人が本当に腹立たしい」

秀吉の朝鮮侵略と義兵闘争
■回答者1(韓国)
朝鮮を征服することを主張する、影響力の強い思想家がいたんだ。彼らはモンゴルと高麗の同盟軍が日本を征服しようとしたことを正当化の理由に挙げたが、単に拡張主義的な精神を持っていただけだ。
彼らは日本の成長には領土の拡張が最重要で必須だと考えていた。
中には今日でも日本人が非常に称賛する思想家もいる。
安倍晋三首相を含む今の日本の右翼は、その延長線上にいる。そして当時と同じく、日本には拡張主義者を阻む仕組みがない。
(※以下、Wikipediaへのリンクは日本語版に張り替えています。)
林鵞峰 - Wikipedia
林子平 - Wikipedia
本多利明 - Wikipedia
佐藤信淵 - Wikipedia
吉田松陰 - Wikipedia
橋本左内 - Wikipedia
板倉勝静 - Wikipedia
勝海舟 - Wikipedia
佐田 白茅
Ueno Kaginori(※不詳)
板垣退助 - Wikipedia
福澤諭吉 - Wikipedia
木戸孝允 - Wikipedia
内田良平 (政治運動家) - Wikipedia
■回答者2(アメリカ)
帝国には二つの大きな目標がある。資源を獲得することと、人に課税することだ。朝鮮にはいくばくかの資源があり、大量の人間がいた。
ローマ人は、みんなにローマ人になってほしくて北アフリカや中東、ヨーロッパを征服したわけではない。ローマに納税してほしかったからそうしたんだ。日本も同じだ。
■回答者3(アメリカ)
日本の朝鮮侵略には、別々ではあるが結びついている二つの作戦が含まれる。初回の侵略は1592年で、1596年に短い休戦を挟んで、1597年に第二の侵略があった。この衝突は軍事的な膠着状態に陥った後、1598年に朝鮮南部の沿岸州で日本軍が朝鮮半島から引き上げて終結した。
侵略を始めたのは豊臣秀吉で、彼は朝鮮半島と中国を征服しようという意図を持っていた。これらはそれぞれ、李氏朝鮮と明朝が支配していた。日本は朝鮮半島の大部分をすばやく占領することに成功したが、明が援軍を提供したこと、そして朝鮮海軍が西岸および南岸で日本の補給艦隊を分断したことで、日本軍は平壌と北方の諸州から、まだ日本人が漢城(今のソウル)と南東地方を支配していた南へと引き上げることを余儀なくされた。その後、義兵(朝鮮の民兵)が日本人に対するゲリラ戦を仕掛け、両軍が補給不足で動けなくなると、日本軍も明・朝鮮連合軍も攻撃を仕掛けたり領土を獲得したりすることができなくなり、その結果、漢城と開城の間の地帯で軍事的膠着状態に陥った。侵略の第一段階は1592年から1596年まで続き、その後1596年から1597年までに日本と明の間で和平交渉が行われたが、ついに実を結ばなかった。
1597年、日本は二度目の朝鮮侵略で新たな攻撃を仕掛けた。二度目の侵略のパターンは、大部分が一度目のそれと同じだった。日本人は序盤は陸戦で成功を収め、いくつかの都市と砦を獲ったが、結局は足を止め、半島南岸地域へと引き返さざるを得なくなった。しかしこれを追った明と朝鮮の軍隊は、南岸地域の砦と壕で固めた地点から、日本人を退陣させることができなかった。両軍はふたたび、朝鮮南岸で10ヶ月におよぶ軍事的膠着状態に陥った。
1598年の秀吉の死により、陸上ではわずかしか進捗がなく、また朝鮮海軍により補給線を幾度も分断されていた朝鮮の日本軍は、新たな五大老によって引き上げるよう命じられた。その後最終和平交渉が行われ、7年にわたって続いた末、最終的に関係の正常化が実現した。

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「19世紀までの日本は朝鮮より弱かったの?」→韓国人「残念ながら・・・」
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■回答者4
朝鮮半島南端の釜山は、アジア大陸から日本への最接近点だ。モンゴルの日本侵略の足がかりであり、また1592年の日本の朝鮮侵略の上陸地点でもあった。
1592年には、日本は統一されアジア大陸への拡張に目を向けていた。朝鮮は当然の次の段階だった。次の段階としてはそれが現実性のある唯一のものだったと言ってもいい。朝鮮はかなり豊かな地域だった。また市民の暴動、派閥抗争、粛清と苦闘していた。朝鮮は中国の従属国だったが、中国は北方ではモンゴルに、西南では反乱に力を割かされていた。
第2次大戦の時は、朝鮮半島は鉄、タングステン、亜鉛、銅、金鉱石があることで知られていた。また良質の石炭の鉱床もあった。こうした資源は、貧しい日本には喉から手が出るほど欲しいものだった。鉄と石炭は、日本の鉄鋼の需要にとって不可欠だった。
■回答者5(管理人)
この質問がいくつかの明らかに誤った前提に基づいていることを、誰も指摘していないので驚いた。
第一に、1592年に「大日本帝国」は存在しない。回答者3が言うように豊臣秀吉が1592年に半島を侵略したのは確かだ(彼の主要目標は朝鮮ではなく明だったけれども)。しかし彼は日本の天皇ではなかったし、日本は帝国ではなかったし、当時の誰も日本を帝国と思ったり呼んだりはしていなかった。
日本人はいつも自国を、今と同様に「日本」または「日本国」(Japan)と呼んでいて、1854年に調印された日米和親条約で初めて「帝國日本」(Empire of Japan)を使った[1]。したがって、1592年時点で大日本帝国が「関心」や何かを持っていたと言うのは、明らかに時代錯誤だ。
秀吉が明を征服しようと思った理由については今も議論があり、単に彼が狂っていたというものも含めてさまざまな説がある。唯一、私たちが事実として受け入れられるのは、彼の試みはあまりに奇妙で例外的なもので、それ以降の江戸時代の日本の支配者の誰も同じことを試みなかったほどだということだ。
これが第二の論点に繋がる:秀吉の野望は、19世紀後半に始まった日本による朝鮮併合の過程とは何の関係もない。質問は、まるで日本が300年間絶えず朝鮮を侵略しようとしていたかのように言っているが、これは歴史的な事実からはほど遠い。日本は、外国との公的な関係も貿易も大幅に制限された、歴史上最も内向的な時代だったからだ。
回答者1は江戸から明治にかけてのナショナリスト/拡張主義者の良い一覧を提供してくれている。しかしその中の一人でも「日本は今度こそ秀吉の夢を実現しなければならない!」みたいなことを現実的に考えていたとはまず思えない。では、なぜ19世紀後半になって突然行動に移したのか? 理由は簡単:ロシア。朝鮮の王朝はひどく腐敗していてロシアが日本にとって最大の現実的な脅威になったため、ロシアの南下を止める必要があったのだ。
したがって、日本が朝鮮半島を征服しようとしたのは歴史上2回だけで、その2回の試みの間に継続的な野望などはなかったというのが歴史的な事実だ。悪いけれども、スレ主は日本と朝鮮の歴史についての非常に基本的な知識を欠いているか、誤解しているか、あるいはもっと悪くすると、読者に何らかの印象を与えようとしていると言わざるをえない。
脚注:
[1] 大日本帝国 - Wikipedia
翻訳元:Quora
自分で書いたのを訳すのは不思議な感じでした。
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秀吉の朝鮮侵略と義兵闘争
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踏み台そのものには興味はない。