海外Q&Aサイトの「なぜ日本にいる外国人は、自分が特別で日本人より優れているみたいに振る舞うの?」という質問から、回答をご紹介。


■回答者1(フランス)
良い質問だ!

日本人は実際に、外国人が特別で、時には日本人より優れていると考えている。

これは確かだ。大抵の人は「日本の社会は同質的であることに誇りを抱いている」と思っているが、日本人はまた劣等感も抱いており、それが外国人が日本で経験する認知バイアスの基礎になっている。

それは単に礼儀正しさのようなこともあるが、しかしまた、本気で信じていることも多い。
「ワオ、あなたは普通の日本人よりもすごく知識が豊富ですね」とか「ワオ、素晴らしい日本語を話しますね。私もそれぐらい上手く英語(やフランス語)が話せたらいいのに」とか、何度聞いたことか・・・

親切心から来るものにせよ、本当にそう思っているにせよ、何年もこれを聞いていると、真に受けてしまう外国人がいる(大抵は真に受けてしまう?)のは非常によく分かる。
これはバイアスだが、理解はできる。そして十分経験すれば、最終的には自分が本当はそれほどではないと分かる。

最近私は、ある素晴らしい女性、非常に古い武術の伝統の指導者にインタビューした(間もなくYouTubeで公開される)。彼女はインタビューの間、何度も「ここに稽古に来る外国の方は何が違うところがあります。どこか日本人よりも優れたところがあります。日本人よりも真剣で、打ち込んでいて、伝統に敬意を払っているのです」と言っていた。しかしこれはバイアスだ。日本人はただの好奇心にせよ、親が選んだからにせよ、どんな理由にしても西洋で子供がサッカークラブに入るのと同じぐらい簡単に武術の教室に入ることができる。

古武術を習おうと決心する外国人、特にもっと勉強するために日本に移住することを決心する外国人は、最も打ち込んでいる選り抜きの人々だ。その分野で大抵の日本人より優れているのは、まったく驚くことではない。

逆もまた真だ。フランスの文化に情熱を持っていて、私よりも知識が豊富な日本人には何人も会ったことがある。「私よりよく知っている筈のない」人たちに、「私が知っている筈のこと」を教わるのは実にありがたいことだ。面白いし、良いことだ。人間関係において私が一番楽しむことの一つだ。

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で、外国人は本当に日本人より優れていると思っているのか?

もちろん、そういう人もいる。馬鹿はどこにだっている。しかし大半は違う。
私の感覚ではそうだ。間違っているかもしれないが、そう思っている。

非常に特定の分野で、非常に特定のことをやるに当たっては、私は確実に普通の日本人より優れている。それが自慢の種になるか? 無論ならない。

仕事で外国に住んでいる人たち(私は違う。自発的に日本に来た)についても同じことが言える。外国の企業は通常、ある特定の市場を開発するために、持てる最高の人材を海外に送り出す。したがって、そういう人は普通の人より優れている。自分の安全地帯の中では。その外に連れ出してみれば、彼らがあっという間に振る舞いを変えるのが分かるだろう。

この効果に何という名前が付いていたか忘れたが、学習の過程には3つの段階があることを示す調査があった。

1 - 私は何も知らない、学ぶ必要がある。
2 - 私は普通の人よりは知っている、したがって自分の知識を自慢しても良い。
3 - 学べば学ぶほど自分がどれだけ知らないかが分かって、自分が知っていることについて謙虚になってきた。

人は第2段階を通り抜けなければならない。要はそういうことだ。しかし大抵の人は、実際にはそれほどの知識もないのに自慢していたのを、最終的には後悔することになる(少なくとも私は後悔している)。

これは日本に限ったことではない。外国人、および仕事で外国に住んでいる人たちは、どこでもこれと同じ認知バイアスを経験する。日本ではそれが他より少し明白なのかもしれない。自慢する人を前にしても日本人は黙っているからだ。彼らはそういう人には遠慮なくやらせておく(が、自分たちの集団から立ち退かせる準備はできている・・・日本人は温和で慇懃だが、彼らには彼らの限界がある)。

この質問をより一般的に取って、観光と短期滞在で日本に来ている人たちも含めると、外国人がいかに日本の文化を学び、日本人とコミュニケーションし、その習慣に敬意を払おうとするかを見て、私はしばしば感銘を受けた・・・もちろん馬鹿はどこにだっていて、私は代表的とは言えない経験からバイアスを受けているのかも知れないが、しかし大抵の外国人は、文化が大きく違っていて理解するのが非常に難しい場合があることを考えると、日本ではごく良い振る舞いをしていると思う。

- 追記 -

自分の回答を読んで、もう少し書き進めてみたくなった。
確かに外国人の中には、なぜだか自分が特別であるかのように振る舞う人もいる。
日本に長く住むというのは、すべてを捨てなければならないということ、そして恐らくは非常な努力をして、自分の多くを日本に与えることでもある。

日本はあまり報われる国ではない。自分が上手くやれることについてお世辞を言われてやり過ごしたところで、日本人と同じ扱いを受けることはおそらく決してない。大抵の武術では、段位は日本人に先に贈られる。ビジネスでは、日本人の方が速く階段を駆け上るだろう(たとえ実績からかけ離れていても)、等。

君は外国人として多くのことを、例えばアパートを借りるのを、拒否されるだろう。何を手に入れるにも、常に日本人の2倍の資格を示す必要があるだろう(例えば電話の契約、ローン等)。外国に在住する者として、どこか二級市民のようになるだろう。

そして、私はここで罪状を認める。私は外国人であるために許されるだろうと思う範囲内で、好きなようにやらせてもらうことにしている。これはバランスの問題だ。私は日本人でないという理由で多くのことを拒否されるが、また日本人でないという理由でいくつかの自由も認められている。私は制約を受け入れ、そして認められた自由も受け入れている。

私はまたこれが、日本で10年以上精神的に安定した状態を保つ唯一の方法だと思っている。私が会った中で「日本人以上に日本人的に」なろうとする人たちは、皆非常に悪いことになった。

以上が私の意見で、13年経って自分の精神を正気に保っている方法だ。自分が間違っていたと分かって、もっと良い方法があったら、また10年後に教えよう。

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■回答者2

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Charisma Man

翻訳:
「故郷のカナダ星では、われらがヒーローはどこにでもいる普通の男・・・」
「ところが日本星に降り立つと・・・」
「彼はカリスママンになるのだ」
「ワタシハ カリスママン デス」
「しかしわれらがヒーローは、宿敵・西洋人女性から身を守ることができるのか!?」

ギルティ!

許しがたく見えるかもしれないが、しかし日本人が外国に行って身分の高い外国のお客さんという扱いを受けたと想像してみてくれ。日本語を話すだけで評価されたと想像してみてくれ。フォークを使って食べたり、その国の言葉をほんの二言三言話しただけで、人々が喝采し叫び声を上げ、ため息を漏らしたと。

日本の文化の人気と普及度のために、日本人の容姿は男性さえもが魅力の国際標準になったと。日本の経済力の強さと国際的な影響力のために、日本語は国際コミュニケーションの言語となったと。

その辺を歩いている見知らぬ人が、お金を上げるから、コーヒーをおごるからとか言って日本語のレッスンをお願いしたと想像してみてくれ。見知らぬ人が立ち止まって日本人に一緒に写真を撮らせてくれとお願いしたと。見知らぬ人が指さしてキャーキャー言って「カッコイイ!」と呼んだと。隣人が日本人をセンセイと呼んでお辞儀をしたと。その国の人々が日本人に国内外の問題について意見を求め、その回答が賛同と称賛のうなずきと唸り声をもって迎えられたと。

これが数世代続いたら、日本人はどうなるだろう? 1980年代の自信を取り戻すかな?

関連記事:
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■回答者3(アメリカ)
そう考える外国人も確かにいるが、ありがたいことに彼らはそう長く日本に留まっていないことが多い。いずれ輝きが失せて自国に帰るか、あるいは日本に留まって恨みを抱いた外国人というステレオタイプになる。

傲慢な外国人は多数派ではないが、しかし声は大きいので、日本にいる外国人はみんなそんなふうに思えることがよくある。

実際そんなことは余りない。大抵の外国人、特に長期にわたって日本に住むことを選択した人たちは、日本と日本人に敬意を払い、自分が特別だとか他の人より優れているとか考えはしない。明らかに、そういうのはよく見かけるタイプの外国人ではない。僕たちは飲んだくれになるよりもっとマシなことをしてるからね。



■回答者4(アメリカ)
この質問は一般化だが、しかしそういう振る舞いをする外国人がたくさんいることは確かだ。その一部は日本の社会そのものに落ち度があり、と言うのも外国人は日本の社会に適合することを期待されていなくて、「カリスママン」になって好き放題できるからだ ― 例えば英会話教室で働いていると、野暮な男であることで報われる人が多い。同様に、日本語を学ぶ動機がほぼないということもあるし、上手な日本語で話しかけると相手が日本語を話そうとせずひどい英語で返されることもある(これは奇妙な現象だ)。

もうひとつの問題は、より年配で分別のある外国人には、日本で生計を立てて行くのが難しいということだ。(そういう人もいるが)。教師なら給料はある点で天井に達するし、30歳になるとどこへ行っても楽しくなくなるか、日本を去るかだ。その結果、外国人であり間抜けであることを文字通り仕事にしているような、若くて分別のない外国人が大量にいることになる。(TVのバラエティ番組は役には立たない。私は自殺の森をネタにした男(※ローガン・ポール)は、馬鹿げた日本のお笑いに影響を受けたのかもしれないと思っている)。

最後に、中には実際に自分の方が優れていると思って日本のあらゆるものを見下している外国人もいる。問題は、日本人は文化的に自己批判的で、批判されても非難せずに謙虚に受け入れて、この振る舞いを悪化させるということだ。

つまるところ、これは共生と経済的有効化の非常に明快な事例だ。



翻訳元:Quora



カリスママンの初出は1998年だそうで、昔からこういう話ってあるんですね・・・



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オレ様化する人たち あなたの隣の傲慢症候群



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