海外Q&Aサイトの「日本のTVはいかにして日本のナショナリズムの一因となっているのか?」という質問から、回答をご紹介。
■回答者(イスラエル)
日本のナショナリズムは「普通」のナショナリズムの形をとっていない。つまり、戦争や軍隊といったものとは関係がない。マイケル・ビリグがその著書に書いているような「凡庸なナショナリズム」に近い。「凡庸なナショナリズム」は日常的な現象で、凡庸でありふれたものに見えるが、ナショナリズムが社会化する一因となる。例えば前庭に掲げられた国旗や、スポーツイベントで歌われる国歌といったものだ。
日本の凡庸なナショナリズムはTVに表れている。TVは最も影響力のあるメディアの一つだ。日本の研究者・吉見俊哉(※→Wikipedia)は、日本のTVを「国民的メディア」と呼んでいる。他の研究者は「文化的ナショナリズム」と呼ぶ。
日本の多くのTV番組では、日本人(「私たち」)がその他の人々 ― 外国人に出会うというシチュエーションを見せる。多くの場合、文化の違いを取り上げ、それを評価し、比較し、ヒエラルキーの中に位置づける。
非常に人気のある番組『YOUは何しに日本へ?』では、飛行機を降りたばかりの外国人を文字通り空港に着いたところで捕まえて、日本に来た理由を聞く。興味深い話があると、その外国人を追い回し、どのように日本を楽しむかを見る。番組は外国人がいかに日本が好きで、日本を愛しているかを見せようとする。何も悪くはないのだが、それを繰り返しTVでやっていると、いろいろな点でナショナリズムの匂いがしてくる。私たちは偉大だ、そして「彼ら」は私たちが好きだ。日本は素晴らしい。このモチーフが日本の番組には繰り返し現れる。
他の例を上げると、さまざまな人を助けるために日本人を海外に派遣する。例えば職人や芸術家を派遣し、「どうすればいいか」を外国人に教える。彼らは日本の独特の技術で土壇場で成功を収め、大いに称賛される。助けられた人からだけでなく、もっと重要なことには、日本の視聴者からもだ。視聴者は日本の文化的優越性の例をまた一つ手に入れる。なぜなら彼らは自分ではできなくて、日本人が助けに行ったのだから。
いろいろな場所に行ってそこで暮らしている日本人を探すのも好きだ。通常、現地で有名になった人や大金持ちになった人を追いかける。その方が面白いと言うことはできるが、しかしこの人たちを通じて番組が言っているのは、日本人は非常に素晴らしくてXやYにおいて有名になるほどだ、ということだ。この手の番組は「この日本の食べ物が気に入るか?」とか「日本の独特な歌にどう反応するか?」といったセリフにあふれている。彼らは人々が称賛する様子を撮影するために、「本物」の日本人の行為を探す。この「クールジャパン」は、私に言わせれば国民的伝染病になっている。TVはこの種の番組だらけで、「私たち」と「彼ら」の比較にあふれかえっている。
もちろんどの国にもその国ごとのナショナリズムがあり、自国の文化を称賛し、よく見せようとするものだ。しかし私の知る限り、自分たちの文化を他の文化と比較して、いかに優れているかを実例で示すなんてことをわざわざやっている国は多くはない。「あなたの国は素晴らしい」という答えを得るために、飛行機から降りたばかりの外国人にこの国に来た理由を聞くなんていう番組は見たことがない。
翻訳元:Quora
娯楽の一つとして楽しむぶんにはそう害はないと思います。
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「愛国」という名の亡国論 ―「日本人すごい」が日本をダメにする
■回答者(イスラエル)
日本のナショナリズムは「普通」のナショナリズムの形をとっていない。つまり、戦争や軍隊といったものとは関係がない。マイケル・ビリグがその著書に書いているような「凡庸なナショナリズム」に近い。「凡庸なナショナリズム」は日常的な現象で、凡庸でありふれたものに見えるが、ナショナリズムが社会化する一因となる。例えば前庭に掲げられた国旗や、スポーツイベントで歌われる国歌といったものだ。
参考:
「イギリスの社会心理学者マイケル・ビリグは、名著『Banal Nationalism(凡庸なナショナリズム)』の中で、「熱い」ナショナリズムと「静かな」ナショナリズムの区別を明確に規定した。
ビリグの表現を借りるなら、「静かな(凡庸な)」ナショナリズムのイメージは熱い思いとともに打ち振られる国旗ではなく、役所や学校などに日々ひっそり掲げられている国旗だ。
しかし、その目立たない国旗に囲まれて生きる人々は、自然に「国民」としての意識を持つようになる。「静かな」ナショナリズムは強靱で手ごわいと、ビリグは指摘する。」
稀勢の里が大相撲を日本人の手に戻してくれるという期待への「違和」(森田 浩之) | 現代ビジネス | 講談社(2/4)
日本の凡庸なナショナリズムはTVに表れている。TVは最も影響力のあるメディアの一つだ。日本の研究者・吉見俊哉(※→Wikipedia)は、日本のTVを「国民的メディア」と呼んでいる。他の研究者は「文化的ナショナリズム」と呼ぶ。
日本の多くのTV番組では、日本人(「私たち」)がその他の人々 ― 外国人に出会うというシチュエーションを見せる。多くの場合、文化の違いを取り上げ、それを評価し、比較し、ヒエラルキーの中に位置づける。
非常に人気のある番組『YOUは何しに日本へ?』では、飛行機を降りたばかりの外国人を文字通り空港に着いたところで捕まえて、日本に来た理由を聞く。興味深い話があると、その外国人を追い回し、どのように日本を楽しむかを見る。番組は外国人がいかに日本が好きで、日本を愛しているかを見せようとする。何も悪くはないのだが、それを繰り返しTVでやっていると、いろいろな点でナショナリズムの匂いがしてくる。私たちは偉大だ、そして「彼ら」は私たちが好きだ。日本は素晴らしい。このモチーフが日本の番組には繰り返し現れる。
他の例を上げると、さまざまな人を助けるために日本人を海外に派遣する。例えば職人や芸術家を派遣し、「どうすればいいか」を外国人に教える。彼らは日本の独特の技術で土壇場で成功を収め、大いに称賛される。助けられた人からだけでなく、もっと重要なことには、日本の視聴者からもだ。視聴者は日本の文化的優越性の例をまた一つ手に入れる。なぜなら彼らは自分ではできなくて、日本人が助けに行ったのだから。
いろいろな場所に行ってそこで暮らしている日本人を探すのも好きだ。通常、現地で有名になった人や大金持ちになった人を追いかける。その方が面白いと言うことはできるが、しかしこの人たちを通じて番組が言っているのは、日本人は非常に素晴らしくてXやYにおいて有名になるほどだ、ということだ。この手の番組は「この日本の食べ物が気に入るか?」とか「日本の独特な歌にどう反応するか?」といったセリフにあふれている。彼らは人々が称賛する様子を撮影するために、「本物」の日本人の行為を探す。この「クールジャパン」は、私に言わせれば国民的伝染病になっている。TVはこの種の番組だらけで、「私たち」と「彼ら」の比較にあふれかえっている。
もちろんどの国にもその国ごとのナショナリズムがあり、自国の文化を称賛し、よく見せようとするものだ。しかし私の知る限り、自分たちの文化を他の文化と比較して、いかに優れているかを実例で示すなんてことをわざわざやっている国は多くはない。「あなたの国は素晴らしい」という答えを得るために、飛行機から降りたばかりの外国人にこの国に来た理由を聞くなんていう番組は見たことがない。
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↑コメント1(フランス)
一昨日にこの回答を読んでいたのは不思議なめぐり合わせね。日本のTVについては、私は見ないようにしてるけど同じ意見で、そしてあなたの書いているTV番組の効果と結果をまさに確認することが昨日あったので。
昨晩、女友達2人と私の彼氏との4人で、小さなレストランで食事をしていた。カウンターの隅にTVがあって、YouTubeの動画とか海外の低品質の動画で、馬鹿なことをやったり本当に見苦しい真似(大抵は車を盗もうとするとかお店に泥棒に入って失敗するとか)ばかりしているような番組を流していた。
友達の一人(12年前からの知り合いで、1年間はルームメイトでもあった親友)が、「あなたに悪気はないけど、外人ってほんと『アホ』な時あるよね、ハハ」と言った。心なごむ冗談というつもりで。彼女は自分が友達だと思う人をからかったり冷やかしたりするのが好きなのよ。(注:関西・広島では、関東と違って「アホ」は「バカ」よりもずっとソフトなニュアンスがある。)
でもこの時は反応せずにいられなくて、「悪いけどそれはレイシズムよ」と言って、彼女の印象はダメな外国人や日本を称賛し崇拝する外国人だけを選んで流している日本のTVによって作られたものだと言った。ちょうどこの回答に上げられているのと同じ例を出した。
その後もう一人のほうの友達が「ワオ、じゃあ私たち本当にTVに洗脳されてない?」と言ったので、私は「うーん、まあそうね・・・」と答えて、二人とも「よく考えることにするわ・・・」と言った。関連記事:
外国人「日本人は知らないだけ。日本には隠れたレイシズムがある」
あなたの回答では触れられていない番組がある:100円ショップが提供していて、日本より貧しい国に100円ショップの掃除用品を持って行って、その国(東欧とかフィリピンとか)の家族が日本の創造性と清潔さに反応し、驚嘆した様子をするのを見せるの。すごい上から目線!
その一方で、日本のテレビに出ている人で私が本当に好きな人もいる:ヨシダナギ。彼女は写真家で、主にアフリカの部族を訪ねている。一方的な判断を下したりは全然しなくて、部族の生活様式を試してみることも恐れない(半裸になるとか、どんな虫でも食べるとか)。外国と旅行についての他のTV番組に比べると、本当にすがすがしい!
↑コメント2(アメリカ)
他の人が喩えているように、この現象は一方の面に「劣等感と不安」が、反対の面には「優越感と躁病」が刻まれた非常に薄いコインだ。こういった番組を見るのは、劣等感に関する不安から逃れるという安心感を、優越感が与えているということだ。関連記事:
外国人「日本ではガイジンコンプレックスって一般的なの?」
↑コメント3(インドネシア)
こういう番組の上から目線な感じは本当に嫌いだ。特に外国に住んでいる日本人を探すやつ。なぜかいつも日本より「貧しい」国を選んで、その国のあらゆる悪い点を強調して、その上で「なぜこの国に滞在することにしたんですか?」と聞く。この質問自体は良いが、実際に聞いているのは「なぜメルセデスをこの醜いフィアット・ムルティプラと交換したんですか?」みたいなことだという感じがいつもする。
↑コメント4(アメリカ)
これを「日本のナショナリズム」と呼ぶのが本当にその本質を表しているのかは分からないな。ナショナリズムというと他にもいろいろなものが思い浮かぶが、これは他の表現(教科書等)にも反映されているもっと深い種類の文化的なアイデンティティだ。
↑回答者
ナショナリズムの定義はもっと大きな視野で捉えることが可能だ。私の考えでは、ナショナリズムは軍事的、右翼的、戦争・紛争好きな思想や感情以上のものである場合がある。
それはまた、回答でも示したように、極端まで行けば「文化的優越感」と「文化的独自性」でもある。それが山とあるゴールデンタイムのTV番組で流行のテーマになった場合、そして多くの人がTVを国民的メディア(至るところで流行っている)と考える場合、これは問題があると言っていい。現代の日本のナショナリズムのほうが、大日本帝国の時代よりは好きだけどね。
↑コメント4
ナショナリズムのある特徴が、他の文化で「ナショナリズム」かどかうかを判断する唯一の基準とされていたとしても、それだけを見ていると危険だということには同意する。
↑回答者
ナチスドイツという極端な例を考えてみればいい。あれは人種的および文化的な優越感そのものだった。日本の現代のナショナリズムがそれに近いものだとは到底言えないが・・・
翻訳元:Quora
娯楽の一つとして楽しむぶんにはそう害はないと思います。
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