海外Q&Aサイトの「日本語を学んでいる人が一番よくやる文法的なミスって何?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(アメリカ)
これに回答するには、日本に来て初めの数年間の苦痛に満ちた恥ずかしい過去を振り返ることになるが、身のすくむ思いに耐えて回答する価値はあると思う! では・・・

形容詞

日本語を学ぶ者が大抵はすぐ気づくことだが、日本語の形容詞は一般に2つのカテゴリに分類される:「い」の形容詞と「な」の形容詞だ。「い」で終わる形容詞には活用があり、それ以外は最後に「な」が付く。しかし私は早い時期にこの説明を簡略化しすぎたため、困ったことになった。「い」の音で終わる単語の多くが、実は「な」の単語だからだ。例えば:

「しつれい」。”rude”という意味だ。さて「い」の形容詞の否定形は、「い」を「くない」に置き換えることで作れる。そこでこの便利な語彙を学んで、自分では野心的で遠慮知らずと呼ぶ、ただし妻は単に「かわいい」と呼ぶ「がいこくじん」になった私は、「しつれい」と言われたときの返答としては、当然自分は「しつれくない」のだ、と主張するのだと思い込んだ。

まだ日本語の旅を始めていない人だって、「しつれい」は「い」の形容詞ではないとおそらくは推測しただろうし、続いてわき起こった笑いは私が失礼だという非難を鎮めるのに十分なものだったが、とはいえこれが望ましい学び方でないことは確かだった。

では、私はどこで間違ったのか? この場合、これは能動的に勉強したり、読んだり、書いたりしないで日本語を急速に吸収したことによる当然の副作用だった。解決策? 漢字に馴染みがなくても、少なくとももとの日本語(ローマ字化したものではなく)を見れば、単語の使い方について手がかりは得られる。もしそうしていたら、私は「しつれい」が「失礼」と書かれるもので、「い」の音は「れい」と発音する最後の文字の一部で、したがって否定の語尾「くない」に変えることはできないと気づいただろう。本当の「い」の形容詞は、すべてひらがなの「い」で書く「い」で終わる。

本当の「い」の形容詞と、その否定形をいくつか挙げると:

すごい/すごくない

暑い/暑くない

美しい/美しくない

「い」が最後にあるのに気づいただろう。「失礼」や「綺麗」はこれと違って、「い」の音が文字自体の一部だ。これを否定形にして、失礼や綺麗でないと言うには、単純に「じゃない」を付ける。

したがって、この第1の点には2つの間違いがあった。1つは文法上の小さなミスだが、またそれより大きな、学習上の一般的な間違いを表してもいる。つまり:

漢字の勉強を先延ばしにすること!

漢字の基本を理解することは、単なる読み書きという以上に、語彙を増やし文法のパターンを理解するのにすこぶる有益だ。そしてたとえ初めは手強いにしても、早い段階で漢字の勉強を始めると長期的には非常に楽になる。私の生徒の逸話:彼は5年間ドイツに住んで勉強し、BMWの整備工として働き、ドイツにいる間に当然ながらドイツ語と英語は大量に身につけた。そして日本語ネイティブとして彼が言うには、ドイツ語を学ぶのは英語を学ぶよりずっと易しい、単語の作り方が、日本語の語彙が漢字を組み合わせて単語を作るのとすごく似ているからだという。

ドイツ語にflug (flight、飛行)とzeug (stuff/equipment、機器)から成るflugzeug(飛行機)があるように、日本語には「飛ぶ」「行く」「機械」から成る「飛行機」がある。一方英語の“airplane”は、彼の頭の中では意味からずっと隔たっているものだった。特に日本語では、新しい語彙は頭の中でその構成要素となる文字と関連させることができれば覚えるのが飛躍的に楽になるし、新しい単語を目にしたときも意味を推測しやすい。英語を学ぶ場合、”volcano”という単語を初めて目にしたらほぼ確実に途方にくれるが、一方「火山」と初めて出くわしたとき、「火」と「山」という早い段階で学ぶ2つの単純な文字が分かれば、頭の上に電球が灯るはずだ。

関連記事:
外国人「日本語を書くとき、漢字ってどうしても使う必要がある?」

文法に戻ると・・・

初学者がよくやる間違いで、もう一つ私が自分と外国人の友達について早い時期に気がついたのは、”be”の有生形「いる」と、無生形「ある」を混同することだ。以前、友達がうっかり「私 彼氏 ある」(※原文ママ)と言って、彼女のボーイフレンドは秋葉原で買える抱き枕に違いないとみんなで冗談を言った。彼女はうかつにも、「私は(無生物の)彼氏を持っている」と言ってしまったからだ。これはまた、別のよくある問題につながる:

助数詞

これはアジアの言語に初めて取り組む世界中の学習者にとって恐怖の的で、日本語も例外ではない。一般に、基本的な「ひとつ」「ふたつ」・・・という数え方から始めるのは問題ないが、しかしこれは、例えば人を指すときにはもちろん失礼で、その場合は「ひとり」「ふたり」「さんにん」「よにん」・・・のほうが適切だ。これは私がわざとやる間違いなのだが、子供を数えるのに小動物用の助数詞を使って「見て、子供を二匹いる!」(※原文ママ)と言うと、妻は今でも怒る。

「失礼な、お前・・・」(※原文ママ)

しかし私にはしっくり来る。また「お前」について言うと、これ自体はよくある「間違い」ではないのだが、しかし問題は・・・

丁寧語

日本語の教科書が、丁寧さのレベルに関して一つ小さな間違いをするとセップクによって罰せられると思わせて世界中の学習者を怯えさせてきたことは知っているが、しかし逆に私がしばしば気づいたのは、このスタイルの教育だと初学者が、特に仲間内やこれから友達になる人に対して、丁寧になりすぎてしまうということだ。敬意を表すつもりが、冷淡でよそよそしいという結果になる可能性がある。

これはもちろん、教科書を投げ出して、「です」も「ます」もその他の敬語も捨ててしまえと言っているのではない! ただ、くだけた日本語を使うのを恐れることはないんだ! そして特に、日本語を学んでいながら、日本に来て自分のスキルを教科書や教室の外で使う機会がまだない人は、動詞のくだけた形や普通の形を無視して丁寧な形にだけ重点を置くのは、自分の首を絞めていることになる。理由は簡単、教科書に出てくるような話し方を実際にしている人なんていないからだ!

たしかに、銀行に行ったりニュースを見たり、あるいは仕事の会議に出たりすれば、改まった日本語を耳にするだろうが、一般にそう長い間やることではないだろう。敬語のスキルを磨くチャンスではある! しかしまた同時に君は、友達を作り、飲みに行き、バーやハイキングコースや美術館で知らない人に話しかけ、また日本と日本の文化、そしてとりわけ日本語で楽しく遊びたくもなるだろう。私は普通、丁寧さはお客さん、妻の家族、年配の人一般のために取っておくことにしていて、その上まだ例外がある:経験から言うと、一番フレンドリーなのは酔っ払った年配の人で、少なくとも私の町(船橋。ここじゃ私たちは皆フレンドリーなアル中だ)の居酒屋では、改まった言葉はほぼ必要ない。

前述の「お前」は”you”と言うときの非常に失礼な言い方だが、私と妻はこれを年中使っている(私たちがクソッタレだからというのもあるが、しかし少なくとも、他のもっと改まった夫婦より私たちは楽しいと思う)。単に「くだけた」日本語を飛び出して実際に「失礼」な領域に入り込むに当たっては、相手と親密になるときのために、もう少し気をつけて、「お前」のような言葉は差し控え、あからさまな失礼さというよりはおどけた愛情表現の印象を与えるようにしよう。ただやはり、もっと稀な改まった状況以外では、自分が十分丁寧かどうかについて気に病みすぎないことだ。

私が日本に来るまで日本語をほぼまったく勉強していなかったのは、実際幸運なことだった。そのため大体が友人や周りの人たちから日本語を習得したので、くだけた日本語のほうがずっと早くまた簡単に身につき、正式な日本語教育を受けた友人たちに比べると文法と語彙は笑うようなレベルなのに、会話のスキルは彼らよりもずっと早く進歩した。中には外国人の同僚たちに、話すときはちょっとリラックスしてそんな堅苦しい話し方はやめるよう教えてやってくれ、という同僚までいた!

とはいえ、注意はしておいたほうが良い。アニメが好きで日本に行きたいと思っている人たちには特にそうで、地球の運命のために戦う以外の場面では、君が耳にしている会話の多くは(私たち全員のためにそうあってほしいと思うのだが)日常会話ではあまり役に立たないだろう。アニメだけで語彙を培って、誰のことも「貴様」と呼ぶ友人がいたな・・・喧嘩を売る言葉だ!

関連記事:
外国人「アニメで日本語を勉強して、日本人が話してるのも完璧に理解できるようになったよ」

妻が帰ってきたら喜んで指摘してくれることがまだまだあることは分かっているが、とりあえずここまでとして、後日こき下ろされたら更新することにしよう。日本語の助数詞とその幅広さと多様性、そしてもちろん私の恥ずかしい経験について、さらなる情報を求める人のために、私の言語の旅の始まりから掘り起こした動画を置いておこう。だから日本語学習に怖気づくことはない、私が始めたときより悪くはならないんだから!





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■回答者2(カナダ)
文法
  • 文法に格の概念のないインド・ヨーロッパ語の話者だと、文の直接目的語を示すのに助詞の「を」を付けるのを忘れるかもしれない。例えば英語でI’m eating an appleと言う場合、どれが直接目的語かを示す標識(marker)はないし、必要ない。日本語ではそうした標識が必要だ。

  • 文の主語を示す前接(※enclitic、前の語と結びつく接語)の助詞/後置詞の「が」を学ぶと、これまた格のない言語だと主語を示す標識がないという問題の他に、主題の助詞の一つである「は」と混同することもありうる。インド・ヨーロッパ語では会話の主題と文の主語を区別しないことが多い。

意味論
  • 「来ます」と「行きます」の適切な使い分けができない。これは英語の”come”と”go”や、フランス語の”aller”と”venir”の違いに少し似ている。

  • “you”のつもりで人を「あなた」と呼ぶという考えを思いつく。これをやると、夫に向かって話しているみたいになる。

書く際の間違い
  • 日本語の前接の助詞/後置詞の多くは、書かれたとおりには発音しない。主題の助詞「は」は「わ」と発音する。”at”の意味の助詞「へ」は「え」と発音する。初学者がある時期に「こにちわ」と書くことは請け合いだが、もちろんこれは正しい綴りではない。

  • いくつかの仮名をちょっと急いで書く。例えば、私は「ほ」を「ま」に似た感じで書くことがある。もう一つ例を挙げると、「ワ」を「ク」に似た感じで書く。

  • 仮名を印刷で見たとおりに書く。例えば「さ」と「き」は、ここに表示されているような形で手書きはしない。

  • 母音の長さだけで区別される単語もある。話すときに母音を短くしすぎるとまったく意味の違う単語になる。

  • カタカナの中で、「シ」を「ツ」に、「ソ」を「ン」に間違える。私はカタカナを読むときはいつもこれに気をつけていて、違いは分かっているのに、それでも混乱することがある。ラテン文字のp、q、b、dではそうならないのに、日本語だとある意味失読症になる・・・ :D



翻訳元:Quora



文法から入らずに会話から吸収して学べる人ってうらやましいです。



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正しい日本語の使い方



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