海外Q&Aサイトの「日本についての考えって、実際に行ってみると変わるものかな?」という質問から、回答をご紹介。


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■回答者1(Shantanu Mantri アメリカ)
私の場合、確実に変わった。これは日本というより日本人に関係していると思う。

日本にはインターンで行く前に3ヶ月間留学していたんだけれど、理解できなかったのは、なぜ日本人が極度に親切なのかということだった。

別府にいる間じゅう、私は当時ひどい水準だった日本語をずっと褒められていた。どこへ行っても「ニホンゴ ガ オジョウズ デス ネ」というフレーズをいつも耳にした。友人の中には、外国人が日本語を話せるのが感動的だという理由で、いつも日本語で話してくれと言ってくる人もいた。これはちょっと衝撃だった。アメリカだと、誰だって英語は分かるぐらいに考えているからだ。日本ではそうではない。

二度目に日本に行って初めて気づいたのだが、こうした言葉の裏には、他人との関係の深さを測る尺度が潜んでいた。

大阪のスタートアップ企業で働いていたとき、みんな最初は別府にいた頃と同じように私を扱ってくれた。誰もが私の日本語を賞賛し、十分上手だと言っていた。私は日本語で複雑な機械学習のアルゴリズムの説明をしていたので、事実がそうでないことは分かっていた。そんなことが完璧にできているわけがなかった。

1ヶ月ぐらい経つと、すべてが変わった。みんな私の説明を気後れせず批判するようになり(もちろん建設的に、人を貶めないやり方で)、私の日本語の間違いを明らかに積極的に指摘するようになった。間違った動詞を使ったり、不自然なところがあると、同僚はいつも指摘してくれた。誰もが私の日本語が上達することを望んでいて、私が上達するのを助けようと努力していた。CEOは私が会議にもっと多く参加するようにしてくれた。同僚はよく日本語の単語や日本のことについて適当なクイズを出してくれた。

ここに至って、私は自分がついに「身内」の一人になったのだと思った。人間関係は「他人」から「知り合い」、そして真の友人へと昇格した。私が一番最初から望んでいたのはこれだったのだが、みんなの信頼を得るまで登りつめる必要があることが分かった。いったんこの信頼を得ると、部外者ではなく部内者のように扱われた。

だから、人が「日本人は親切すぎて本当に思っていることを言わない」と言うとき、私は話半分で聞くことにしている。日本人が親切で他人に敬意を払うというのはそのとおりだと思うが、大事なのは彼らの言葉よりも行動だ。これは単に彼らの文化であって、私は別に気にならない。

この体験談から分かってもらいたいのは、日本の文化を表面的に見るべきではないということだ。私たちは皆外国人として、日本人と良好な関係を維持する義務があるが、それは日本人が表面的なレベルとそれよりもっと深いレベルとの両方で言っていることの真の意味を私たちは理解する必要があるということだ。これは必ずしも表面的なレベルでの発言が浅薄だということではなくて、単に敬意を表す一つの形式で、それ以上でもそれ以下でもない、ということだ。それは君が、彼らの目に他人として映っていることの表れだ。

日本人との付き合いには、表面的なレベルとそれより内的なレベルがあって、その両方を理解することで、私たちも日本人も双方がやりやすくなる。よくある誤解の多くはこれでなくなる。

私が自分の経験から結論したことは何か?

日本人の言葉と行動は全体として理解する必要があり、そのため大阪の同僚たちは本当に親密な友人になった。彼らは私が上達することを望んでいて、進んでそうしてくれた。米国に戻る頃には会話能力にずっと自信が持てるようになった。

別府での「友人」たちは、おそらく良き「知り合い」に近い存在だった。いつも褒めてくれていたのは敬意の表現に近いもので、私のことをまだちょっと他人として見ていた。今でも折りに触れ話すことはあるが、大阪の友人たちとの会話のほうがずっと深く、有意義だ。

もしこれが分からなかったら、たぶん私は大阪の人たちが嫌いになっていただろう。よくも私の日本語を四六時中批判できたもんだな? CEOも、もっと会議に出ろとかよく言えたもんだな?!

が、そうではない。悪意があって言っているわけではなかった。それが彼らの本当の意見で、ただ彼らは、私が本当の気持ちと意図を理解していると分かったらそれを見せようと思っていたんだ。これはありがたいことだと私は思うが、ただ日本の文化を理解していない人にとっては、いささか諸刃の剣でもある。

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■回答者2(Tony Kessler アメリカ)
日本には6ヶ月滞在してひどい目に遭って、二度と行かないことを誓った。日本に戻ってみると、またその思いに付きまとわれた。前回も閉口したが、ただ、正しくやればいけるんじゃないかと思った。3年後、日本に戻った。日本人の彼女(米国に来ていたときに出会った)と結婚して、日本に打ち勝つために戻ったんだ。

日本語を学ぶことは、思っていたほど易しくはなかったが、大いに役に立った。私はまさに日本に馴染み始めていた。なぜだか分からないが、青い目やその他の理由から、私は群衆に溶け込むことができて、揉め事は起こさなかった。日本で暮らし始めて、それから20年間住んだ。米国に戻ったのは2回だけだ。最後に戻ったときは逆カルチャーショックを受けた。

私が話していたのはJaplish、つまり日本語と英語のミックスだった。本当に困難な状況だった。私の考え方は変化し、人に対する見方も変化していたが、自分ではそれが分からなかった。もう20年になるが、今でも分からない。

私は変化して、日本を去るときには以前よりも内向的で物静かな人間になっていた。今でも変えられずにいる習慣もある。一番変わるのは考え方だと思う。あらゆるものが違って見えるんだ。

この変化は非常にゆるやかなものだ。それまで持っていた文化と自覚をゆっくりと落として行く。自分で気づかないほどゆっくりと。

今でも日本にホームシックを覚える。できることなら、日本に戻って日本で死にたい。



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■回答者3(Russ Boyer アメリカ)
ポジティブな意味とネガティブな意味の両方で、イエス。この質問は、文字どおりに受け取るなら、単純化しすぎだ。僕たちはいつだって、行ったことのない土地についてのステレオタイプを心に抱えているのだから。そして空港からバスに乗るだけでそうしたステレオタイプを変える。しかしいろいろな国に住んでみた上で思うのは、日本はやはり特別だということで、日本についての考えは、他の国について以上に変化することになる。

以下は個人的な意見にすぎないけど・・・

日本で長く過ごせば過ごすほど、日本の社会の不完全さが見えてくる。僕はいろいろな点で日本に自己を同一化して考えるようになっていて、その結果、日本ほどは知らない国の人々に対するよりも、日本人に対しては多くを期待している。フェアじゃあないけれど、それが僕の心理だ。他人よりは自分に対して多くを期待する、他の国よりはわがアメリカの同国人に多くを期待する、そうした態度の一部が日本人に対しても適用される。

馬鹿げたTV番組、下らない映画、外国人に面と向かうと揃ってわき起こる優越感、かと思えば自分たちが勝てないものだから野球チームや相撲部屋の外国人の数に制限を設けること・・・まあ、これ以上は言わなくていいだろう。

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しかしまた同時に、他の国では普通見られない性質のために、日本が好きになり、敬意を抱くようにもなる。東北の津波に彼らがどう対応したかを見てくれ。略奪の起きなかったような国が他に世界のどこにある? 日本人がやったほどの支援をして、あれほど早く復興した国が他にどこにある?

日本は驚くべき国だ。



■回答者4(Russell Watson イギリス)
この質問に答えるには二つのやり方があると思う。一般的な意味では、日本に行く前にどういう印象を抱いていたかによって大きく異なる、と言っておくのが、ごく簡単でまた分かりやすいと思う。出身国と、地方に住んでいたか都市部に住んでいたかによっても変わるだろう。地方から出てきた人が東京を見たら、自国の都市で育った人よりも衝撃を覚えるだろう。これは明らかにどの国でも同じで、日本に特有のことではない。

都市の人混みと騒音には、まず誰だって大きなショックを受けると言って間違いないと思う。

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自分の場合、日本についての最初の印象は、40年前にティーンエージャーだった頃に手紙の交換を始めたペンフレンドから得たものだった。19歳で初めて奈良と京都に行ったときは、馴染みのない経験をたくさんして圧倒された。これで、もっと長く滞在したいという非常に前向きな気持ちが残った。

23歳のときに日本に戻り、今度は東京を拠点にした。短期旅行から持ち帰るつかの間の印象は、長期滞在の間に作り上げられる印象とは大きく異なる。このことは、何でもバラ色に見える観光客のメガネを一度外すと特にはっきりする。それから物事をもっと客観的に見始めて、もっと長く滞在するかどうかを最終的に決めることになる。



翻訳元:Quora



2019-04-10:回答者の名前を追記



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