海外Q&Aサイトの「日本人の同僚に自国で買ってきたチョコレートのお土産をあげたんだけど、開けもしないで賞味期限が切れるまで何ヶ月もデスクに置きっぱなしにしている。捨てたほうが良い? これってどういう意味?」という質問から、回答をご紹介。
■回答者1
私もこれ経験あるわ。
シンガポールに出張に行って、私は日本のビジネスとか贈り物の習慣をそんなガチガチに守っていたわけじゃないんだけど、とにかくチームの全員にちょっとしたものを買っていくことにした。
シンガポールのマーライオンチョコの小さい箱を買った。チョコはみんなにあげるのに一番当たり障りがなくて、安すぎる感じはしない、でも一番安いものだと思ったの。
火曜日に出勤して、朝の挨拶をして、箱を配り始めた。みんな受け取ってお礼を言って、箱はデスクの上に置きっぱなしにした。鞄に入れたのはチームリーダーだけだった。それから何日間、さらに何週間も、私はチョコの箱が同僚のデスクに乗ったままになっているのを見ていた。打ちひしがれた思いだった。チョコが嫌いなの? 忘れてるのかも。単に私のことが嫌いなのかも。私は傷ついたし、またちょっと馬鹿げているとも思った。実際それほど懐に余裕はなくて、だけどそういう文化だと思って受け入れたのに、せめて家に持って帰ればいいのにと思った。でチョコについては無視することにしたけど、あれはたぶん今でもデスクの上にあるわね。
そしたら、別の同僚がシンガポールに出張に行って韓国のりを買ってきて、私はいよいよ傷つくことになった。このしょっぱいのりの包みを、みんな自分のデスクですぐに開けてむしゃむしゃ食べ始めたのよ。別の同僚がダブリンでチョコとお菓子を買ってきたときも、同じことが起こった。
とにかく、なぜ日本人がお土産をデスクに置きっぱなしにするのかは不明。同僚にお土産を配るというこの無駄な手続きについて考えて気に病むことをやめれば、みんなちょっとお金が節約できるのにって思うわ(溜め息)。
■回答者2(アメリカ)
オミヤゲ(日本でギフトを贈ること)に大事なのは包装、品質、そしてブランドだ。それから原産国も。量はまったく重要ではない。
私の日本人の義理の両親は、よくアメリカの友人からシーズ(See's)のチョコを貰っていた。これは食べずに賞味期限が切れるか、贈り物として「再利用」されるかのどちらかだった。チョコが嫌いだとか食べられないとかは決して言わなかった。ところが実は、固いチョコやナッツの入ったチョコは食べられなかったんだ。歯の問題でね。またシーズはどちらかというと甘すぎで、こういうデザートを日本人は喜ばない。じゃあそう感想を言うのか? 絶対言わない。
一方、ゴディバのチョコ、特に85%カカオで個別包装の正方形のやつを貰うと大喜びしていた。
だから、同僚が君のお土産を食べなかったとしても、傷つくことはない。彼らが本当の気持ちを打ち明けたがらないとしても、気に入るものを探すことだ。サイズは小さくていいから、流行りのブランドのを買う。他の人のお土産で何が評判が良いか、何が良くないかをよく見る。すでに言ったように、包装は中身とほぼ同じぐらい大事だ。
私の碁の師匠はチョコを持っていくと慇懃に受け取ったが、「ありがとう」とは決して言わなかった。ところが酒のほうが良いということが分かって、スコッチ(米国で買った)を持っていった。上質のスコッチ。ブランドもの。彼は気に入って、礼を言った。男性はお菓子よりこういうお土産を好むことが多い。
人はそれぞれ違う。相手が本当に喜ぶものは何かを理解するために、調査をするんだ。自分から教えてはくれないからね。日本では、高価だけど見た目の良い果物が鉄板だ。例えば1玉60ドルのメロンや、60ドルぶんのワシントン産レーニアチェリー(あるいは30ドルでも)。これで成功!
これは逆の場合もある。妻は日本人だが、アメリカの私の家族に、乾燥させたエビの入った実にしゃれたライスクラッカー(せんべい)をお土産として持っていった。家族は「ありがとう」と言い、しかし二口目は決して食べなかった。ヨックモック(「シガール」のクッキー)のほうが良かったわけだ。だから、贈り物を選ぶときには自分の文化は忘れること。結局、貰う側のバイアスがすべてだ。
■回答者3
昔、ハズブロ(※アメリカの玩具メーカー)がアジアでバービーを売ろうとした。少し売れたけど、子供たちはほとんどが棚に飾るだけで、時には人形を箱から取り出そうとも、遊ぼうともしなかった。アメリカ人がよくバービー用に買う人形の家や車、馬、服については大した市場がなかった。ハズブロは人形を使った遊び方を教えようとして、小さな子供たちがバービーを人形の家や車、さまざまな服等で遊んでいるコマーシャルを打たなければならなかった。しかしそれでも、あまり上手くいかなかった。
米国の文化では、贈り物を貰った人はその場ですぐに開けて、贈り物の本体に対する判断を表現することが多い。アジアの文化では、丁重に受け取って、贈り物については判断を下すことなくその気持を褒め称えることが多い。後でこっそり贈り物を開けることはあるけど、それ自体より気持ちのほうが重視される。
あとこれは文化的なものかどうか分からないけど、個人的に、消費するのがもったいない贈り物というのはいくつかあった。クッキーは大好きだけど、プリントがすごく可愛くて自分にとって大事なので、絶対に食べないことにしている10年もののクッキーがある。チョコも大好きだけど、チョコで作った彫刻は食べない。アートは食べると後悔する。それに、チョコの彫刻もプリントクッキーも、見た目ほど美味しくはない。可愛すぎて絶対使えない石鹸も持っている。絶対に焚くつもりのないお香も持っている。香りを閉じ込めておきたいので、パッケージを開けようと思ったことさえない。
贈り物をそのままの状態にしておきたいという本能は、「幸運のお守り」にまつわる迷信と関係しているのかもしれない。幸運のお守りには、小袋や、畳んだ紙でできているものもある。その内部には祈りや祝福、何らかの形の好意や幸運、良い思いが込められていると考えられている。幸運のお守りを開けると、その幸運が消えてしまうことがある。残った容れ物が悪運を呼び込むことがあると考える人もいる。だから、善意の表れであるものを開けたがらないというのは、普通のことだと思う。
チョコの賞味期限がもう切れているとしても、その贈り物は今でもあなたの思いやりを偲ばせる。大事なのは気持ちなんだし、それに賞味期限が切れる何ヶ月か前に何も言ったりやったりしていないのなら、賞味期限後に何か言ったりやったりしても意味はない。
■回答者4
休暇や出張の後で贈り物を配るという習慣は、人間関係の補強、自分が職場にいない間も同僚たちのことを考えていたと示すジェスチャーという意味合いが強い。それに比べると、贈るもの自体ははるかに重要でない。
私の同僚はいつも堅苦しく礼儀正しすぎる人たちだが、私が海外旅行から戻ったときに、くだけた場では「海外の味」(※原文ママ)というコメントをよく貰う。お菓子の類だと特にこのコメントを聞くことが多い。日本人には、外国のお菓子は耐えがたいほどのサッカリンの甘みがするというステレオタイプがあるんだ。私も、以前は甘すぎると思っていたけど日本に来てから好きになったというものはいくつかあるので、これはある程度は事実に基づいているのかもしれないが、単にそれだけではなく、ずっと複雑な問題ではないかと思う。
私の考える仮説は、人の抱く期待と認識の相互作用によるものだという事だ。例えば、この二つがお互いを強化し合っている可能性がある。「これは甘そうだな」と思うとそういう味に注目するようになるし、すると当然、甘さに気づきやすくもなる。また、味が期待に反していたときに、その期待しなかった部分に注意が向くという場合もある。例えば、同じ「甘すぎる」という文句を、西洋人が日本の伝統的なお菓子について言っているのを聞いたことがある。せんべいに付いた甘い豆の糖衣が? 西洋では珍しいのかもしれないが、日本のせんべいではありふれたことだ。
いずれにせよ、人が見たことのないものや食べたことのないものを前にして、少なくともちょっと好奇心を抱くというのはよくあることだが、しかし人はそれぞれで、誰もが等しく新しい食べ物に魅了されるとは限らない。親密な友人への贈り物であれば、相手の個人的な好みに合ったものを手に入れるのに少しの労力(そして恐らくはお金)を費やすのは良いことだが、普通の同僚向けには、高すぎなくてシェアしやすいもの、そして理想を言えば原産国をよく表しているようなものを選んだほうが合理的だ。それは全員の口には合わないかもしれない ― わざわざ選んだのならちょっと無駄になる ― が、私はそうは受け取らない。大事なのはジェスチャーなんだ。
お土産を配った。ミッション達成。食べるのは彼らの仕事だ。
■回答者5(マレーシア)
まず第一に、チョコはもうあげたんだから、そのままにしておくべきだ。チョコは彼らのもので、それをどうしたいと思うかは(厳密に言えば)彼らが決めることだ。
第二に、君とその日本人の同僚の関係はどんな感じだ? もし親密な仲なら、例えば気に入らないのかとか、お菓子が好きじゃないのかとか、忘れているのだとしたら何か思い出させるようなことを言ったりして、当たり障りのない質問をしてみたらどうだろう。彼らがそれにどう反応するかを見るのも興味深い。もし君と彼らとで、お互いをどう思っているかに食い違いがあるなら、彼らの反応でそれがはっきり分かるだろう。
僕自身、日本に何年も住んでいてそういう混乱を少し経験したことがある。日本人は礼儀正しいことで有名だが、君の身に起こったのは明らかに失礼なことだ。彼らは貰ったのを忘れているのかもしれないし、たしかに誰だって忘れることはあるが、しかし礼儀正しさが彼らの文化の一部だというのなら、まずは家に持って帰ってそれから忘れるんじゃないか。日本の文化を叩いているわけじゃあない、僕は日本の文化が大好きだ。言いたいのは、ある人々や文化を一括りにしちゃいけないだろうってことだ。どの文化に属していようと、人にはそれぞれの癖があり、一人一人違う。結局のところ僕らは皆人間で、性格には文化だけでなく多くのものが影響している。
最後に一つ忠告。君も分かっていると思うが、日本人は親密になるのが非常に難しい。中には友達をファーストネームで呼ぶことさえしない人もいる。それは失礼だと考えるからだ。僕にとって、これは日本人との間の壁になる。だから、この壁を壊したいと思うなら、日本人に対して忍耐強くなる必要がある。もちろんすべての日本人にそうする必要があるわけじゃなくて、中には優しくて付き合いやすい人もいるけれど、ただちょっと努力が必要になる人もいるんだ。ちなみに、何かするときに別のやり方でやってもそう悪くないと教えるのは、日本人には、少なくとも僕の知っている人たちには、上手くいかない。
翻訳元:Quora
上海のお土産になぜかコットンを貰ったんだけど、なんか使えなくてそのまま捨てた。ごめん。
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きちんとわかる、ちゃんと作れる!チョコレートのお菓子の本
■回答者1
私もこれ経験あるわ。
シンガポールに出張に行って、私は日本のビジネスとか贈り物の習慣をそんなガチガチに守っていたわけじゃないんだけど、とにかくチームの全員にちょっとしたものを買っていくことにした。
シンガポールのマーライオンチョコの小さい箱を買った。チョコはみんなにあげるのに一番当たり障りがなくて、安すぎる感じはしない、でも一番安いものだと思ったの。
火曜日に出勤して、朝の挨拶をして、箱を配り始めた。みんな受け取ってお礼を言って、箱はデスクの上に置きっぱなしにした。鞄に入れたのはチームリーダーだけだった。それから何日間、さらに何週間も、私はチョコの箱が同僚のデスクに乗ったままになっているのを見ていた。打ちひしがれた思いだった。チョコが嫌いなの? 忘れてるのかも。単に私のことが嫌いなのかも。私は傷ついたし、またちょっと馬鹿げているとも思った。実際それほど懐に余裕はなくて、だけどそういう文化だと思って受け入れたのに、せめて家に持って帰ればいいのにと思った。でチョコについては無視することにしたけど、あれはたぶん今でもデスクの上にあるわね。
そしたら、別の同僚がシンガポールに出張に行って韓国のりを買ってきて、私はいよいよ傷つくことになった。このしょっぱいのりの包みを、みんな自分のデスクですぐに開けてむしゃむしゃ食べ始めたのよ。別の同僚がダブリンでチョコとお菓子を買ってきたときも、同じことが起こった。
とにかく、なぜ日本人がお土産をデスクに置きっぱなしにするのかは不明。同僚にお土産を配るというこの無駄な手続きについて考えて気に病むことをやめれば、みんなちょっとお金が節約できるのにって思うわ(溜め息)。
■回答者2(アメリカ)
オミヤゲ(日本でギフトを贈ること)に大事なのは包装、品質、そしてブランドだ。それから原産国も。量はまったく重要ではない。
私の日本人の義理の両親は、よくアメリカの友人からシーズ(See's)のチョコを貰っていた。これは食べずに賞味期限が切れるか、贈り物として「再利用」されるかのどちらかだった。チョコが嫌いだとか食べられないとかは決して言わなかった。ところが実は、固いチョコやナッツの入ったチョコは食べられなかったんだ。歯の問題でね。またシーズはどちらかというと甘すぎで、こういうデザートを日本人は喜ばない。じゃあそう感想を言うのか? 絶対言わない。
一方、ゴディバのチョコ、特に85%カカオで個別包装の正方形のやつを貰うと大喜びしていた。
だから、同僚が君のお土産を食べなかったとしても、傷つくことはない。彼らが本当の気持ちを打ち明けたがらないとしても、気に入るものを探すことだ。サイズは小さくていいから、流行りのブランドのを買う。他の人のお土産で何が評判が良いか、何が良くないかをよく見る。すでに言ったように、包装は中身とほぼ同じぐらい大事だ。
私の碁の師匠はチョコを持っていくと慇懃に受け取ったが、「ありがとう」とは決して言わなかった。ところが酒のほうが良いということが分かって、スコッチ(米国で買った)を持っていった。上質のスコッチ。ブランドもの。彼は気に入って、礼を言った。男性はお菓子よりこういうお土産を好むことが多い。
人はそれぞれ違う。相手が本当に喜ぶものは何かを理解するために、調査をするんだ。自分から教えてはくれないからね。日本では、高価だけど見た目の良い果物が鉄板だ。例えば1玉60ドルのメロンや、60ドルぶんのワシントン産レーニアチェリー(あるいは30ドルでも)。これで成功!
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外国人「日本に行った初日・・・私は発狂したのだと思った」
これは逆の場合もある。妻は日本人だが、アメリカの私の家族に、乾燥させたエビの入った実にしゃれたライスクラッカー(せんべい)をお土産として持っていった。家族は「ありがとう」と言い、しかし二口目は決して食べなかった。ヨックモック(「シガール」のクッキー)のほうが良かったわけだ。だから、贈り物を選ぶときには自分の文化は忘れること。結局、貰う側のバイアスがすべてだ。
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■回答者3
昔、ハズブロ(※アメリカの玩具メーカー)がアジアでバービーを売ろうとした。少し売れたけど、子供たちはほとんどが棚に飾るだけで、時には人形を箱から取り出そうとも、遊ぼうともしなかった。アメリカ人がよくバービー用に買う人形の家や車、馬、服については大した市場がなかった。ハズブロは人形を使った遊び方を教えようとして、小さな子供たちがバービーを人形の家や車、さまざまな服等で遊んでいるコマーシャルを打たなければならなかった。しかしそれでも、あまり上手くいかなかった。
米国の文化では、贈り物を貰った人はその場ですぐに開けて、贈り物の本体に対する判断を表現することが多い。アジアの文化では、丁重に受け取って、贈り物については判断を下すことなくその気持を褒め称えることが多い。後でこっそり贈り物を開けることはあるけど、それ自体より気持ちのほうが重視される。
あとこれは文化的なものかどうか分からないけど、個人的に、消費するのがもったいない贈り物というのはいくつかあった。クッキーは大好きだけど、プリントがすごく可愛くて自分にとって大事なので、絶対に食べないことにしている10年もののクッキーがある。チョコも大好きだけど、チョコで作った彫刻は食べない。アートは食べると後悔する。それに、チョコの彫刻もプリントクッキーも、見た目ほど美味しくはない。可愛すぎて絶対使えない石鹸も持っている。絶対に焚くつもりのないお香も持っている。香りを閉じ込めておきたいので、パッケージを開けようと思ったことさえない。
贈り物をそのままの状態にしておきたいという本能は、「幸運のお守り」にまつわる迷信と関係しているのかもしれない。幸運のお守りには、小袋や、畳んだ紙でできているものもある。その内部には祈りや祝福、何らかの形の好意や幸運、良い思いが込められていると考えられている。幸運のお守りを開けると、その幸運が消えてしまうことがある。残った容れ物が悪運を呼び込むことがあると考える人もいる。だから、善意の表れであるものを開けたがらないというのは、普通のことだと思う。
チョコの賞味期限がもう切れているとしても、その贈り物は今でもあなたの思いやりを偲ばせる。大事なのは気持ちなんだし、それに賞味期限が切れる何ヶ月か前に何も言ったりやったりしていないのなら、賞味期限後に何か言ったりやったりしても意味はない。
■回答者4
休暇や出張の後で贈り物を配るという習慣は、人間関係の補強、自分が職場にいない間も同僚たちのことを考えていたと示すジェスチャーという意味合いが強い。それに比べると、贈るもの自体ははるかに重要でない。
私の同僚はいつも堅苦しく礼儀正しすぎる人たちだが、私が海外旅行から戻ったときに、くだけた場では「海外の味」(※原文ママ)というコメントをよく貰う。お菓子の類だと特にこのコメントを聞くことが多い。日本人には、外国のお菓子は耐えがたいほどのサッカリンの甘みがするというステレオタイプがあるんだ。私も、以前は甘すぎると思っていたけど日本に来てから好きになったというものはいくつかあるので、これはある程度は事実に基づいているのかもしれないが、単にそれだけではなく、ずっと複雑な問題ではないかと思う。
私の考える仮説は、人の抱く期待と認識の相互作用によるものだという事だ。例えば、この二つがお互いを強化し合っている可能性がある。「これは甘そうだな」と思うとそういう味に注目するようになるし、すると当然、甘さに気づきやすくもなる。また、味が期待に反していたときに、その期待しなかった部分に注意が向くという場合もある。例えば、同じ「甘すぎる」という文句を、西洋人が日本の伝統的なお菓子について言っているのを聞いたことがある。せんべいに付いた甘い豆の糖衣が? 西洋では珍しいのかもしれないが、日本のせんべいではありふれたことだ。
いずれにせよ、人が見たことのないものや食べたことのないものを前にして、少なくともちょっと好奇心を抱くというのはよくあることだが、しかし人はそれぞれで、誰もが等しく新しい食べ物に魅了されるとは限らない。親密な友人への贈り物であれば、相手の個人的な好みに合ったものを手に入れるのに少しの労力(そして恐らくはお金)を費やすのは良いことだが、普通の同僚向けには、高すぎなくてシェアしやすいもの、そして理想を言えば原産国をよく表しているようなものを選んだほうが合理的だ。それは全員の口には合わないかもしれない ― わざわざ選んだのならちょっと無駄になる ― が、私はそうは受け取らない。大事なのはジェスチャーなんだ。
お土産を配った。ミッション達成。食べるのは彼らの仕事だ。
■回答者5(マレーシア)
まず第一に、チョコはもうあげたんだから、そのままにしておくべきだ。チョコは彼らのもので、それをどうしたいと思うかは(厳密に言えば)彼らが決めることだ。
第二に、君とその日本人の同僚の関係はどんな感じだ? もし親密な仲なら、例えば気に入らないのかとか、お菓子が好きじゃないのかとか、忘れているのだとしたら何か思い出させるようなことを言ったりして、当たり障りのない質問をしてみたらどうだろう。彼らがそれにどう反応するかを見るのも興味深い。もし君と彼らとで、お互いをどう思っているかに食い違いがあるなら、彼らの反応でそれがはっきり分かるだろう。
僕自身、日本に何年も住んでいてそういう混乱を少し経験したことがある。日本人は礼儀正しいことで有名だが、君の身に起こったのは明らかに失礼なことだ。彼らは貰ったのを忘れているのかもしれないし、たしかに誰だって忘れることはあるが、しかし礼儀正しさが彼らの文化の一部だというのなら、まずは家に持って帰ってそれから忘れるんじゃないか。日本の文化を叩いているわけじゃあない、僕は日本の文化が大好きだ。言いたいのは、ある人々や文化を一括りにしちゃいけないだろうってことだ。どの文化に属していようと、人にはそれぞれの癖があり、一人一人違う。結局のところ僕らは皆人間で、性格には文化だけでなく多くのものが影響している。
最後に一つ忠告。君も分かっていると思うが、日本人は親密になるのが非常に難しい。中には友達をファーストネームで呼ぶことさえしない人もいる。それは失礼だと考えるからだ。僕にとって、これは日本人との間の壁になる。だから、この壁を壊したいと思うなら、日本人に対して忍耐強くなる必要がある。もちろんすべての日本人にそうする必要があるわけじゃなくて、中には優しくて付き合いやすい人もいるけれど、ただちょっと努力が必要になる人もいるんだ。ちなみに、何かするときに別のやり方でやってもそう悪くないと教えるのは、日本人には、少なくとも僕の知っている人たちには、上手くいかない。
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翻訳元:Quora
上海のお土産になぜかコットンを貰ったんだけど、なんか使えなくてそのまま捨てた。ごめん。
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きちんとわかる、ちゃんと作れる!チョコレートのお菓子の本
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嫌いなものを押し付けて食わないのが気に食わない
なんて言うのは流石に横暴だよ
まあその人も放置しないで持って帰って捨てるとかすりゃいいのにとは思うが