海外Q&Aサイトの「日本や韓国のイジメはなぜあんなに卑劣で残酷なの?」という質問から、回答をご紹介。
■回答者
日本で生まれ育った、但し「ハーフ」(韓国と日本のハーフ ― 従って一般に日本人と比べて背が高くて、日本人と比べて顎が四角くて鼻が大きくて、その他色々「日本人と比べて」があるんだけど、この意味は後で分かる)の友達が、こんな話をしてくれた。
彼女が11歳ぐらいの時、中学校で新しい先生が転勤してきた。先生は廊下を歩いてくると彼女の机のところで立ち止まってこう言った。「ワオ、美人だね!」彼女はびっくりしたし、クラスメートたちはくすくす笑い始めた。
先生はこう続けた。「まあ、これこそ日本人ってことだよ。どんな時に何を言うべきか弁えてるんだ。みんなも大体分かってると思うけど、今言ったのは真っ赤な嘘だよ!」
(ここまで聞いて僕はひっくり返るほど驚いた)
彼女は先生の腹に一発お見舞いして、後は机をじっと見詰めてひたすら泣くのを堪えて、先生が授業の続きをするのを待った。
当然ながら、先生という権威のある人におおっぴらにからかわれてから、彼女が社会生活を送るチャンスは壊滅した。罰を受ける恐れのない、彼女に対する狩猟解禁期がやってきたんだから。彼女はロッカールームでクラスメートたちに首を絞められて、あやうく死にかけたことさえある ― そして失神しそうになったところで、止めに入った教師に助けられた。そしてこの生徒たちは1人も罰せられなかった。
もちろん、これで終わったわけじゃない。彼女が「先生を殴った」というのは、大学に入る頃には「先生を鉛筆で刺しまくった」に進化していた。彼女の高校のクラスメートたちがこの噂をせっせと広めたものだから、この厳格に画一化された社会で友達を作るのは不可能になった。
この話を思い出すと、そして彼女の無力感を想像すると、これほどまでのイジメは僕は見たことも経験したこともないと思う。イジメはどこにだってあるけど、子供時代を通して、さらに大人になるまで、こんな徹底して容赦のないイジメはない。しかも誰一人それをやめさせようとしなかったんだ。
そしてこれは特異な例じゃないんだ。似たような話は日本ではよくあって、型にはまらないタイプの子がしばしば経験することだ。というのも、教師がクラス全体をコントロールしやすくするために1人の生徒を「いびる」のはよくあることだからだ(そうでもしないと教師はクラスで「他人」扱いになって、尊敬を勝ち取ることが難しくなる)。これは日本では気味が悪いほど一般的なクラス運営のスタイルだ。
もっと広く言うと、ある国の国民の「均一性」が高いほど、型にはまらない人は全身に嫌がらせを受ける傾向が強くなる。それも仲間からだけじゃなく、あらゆる人からだ。アジアの文化はしばしば調和の価値を強調するし、もし調和しなければ人生はとても難しいものになるだろう。僕みたいな外国人には想像もできないことだ。僕らの多くは、大体において、社会はある程度のユニークさを受け入れる ― 時に奨励さえする ― ものだと考えるからね。たとえ違いが多少の軋轢を生み出すとしても。
このことはまた、彼女の話 ― 確かに信じがたい話ではある ― の正当性を判断するに当たっても大事だと思う。西洋の社会では、自分が苦しんでいるとか排除されていると表現することには人に訴えかけるような側面があるけど、日本の文化の中ではそうではなくて、この話を他人にするのは彼女を傷つけることにしかならないんだ。それでも彼女はそうした。僕はこれは、とてつもない強さと信念の印だと思う。あんなふうには決してなれないよ。
さらに、こういった経験をするのは日本人とは違った人たちだから、大抵の日本人には自分たちの社会がこんな毒性を持っているということがピンとこない。この種のトラウマを経験する日本人はわずかだし、経験するような人は発言の場を与えられないからね。
結論として、日本の教育システムは日本社会の余り報告される機会のない一側面であって、これに対してはことのほか道義に基づいた、規律ある、そして腐敗していない改革の手が必要だと思う。
かつての僕の友達のように声もなく苦しんでいる全ての人のために、すぐにでもその手が差し伸べられることを祈る。
追記:彼女が今どうしているかって聞く人がいた。彼女の現状を伝えることで、この出来事が1人の人間に何をもたらしたかを理解してもらえると思う。
彼女は人を深く信じることがほとんどできなくなっている。人生が「しばらく」 ― 1週間ぐらい ― 上手く行くと、良くないことが起きそうな「胸騒ぎ」を感じて、自分の幸せの正しさを疑い始める。気付いてないだけで残酷な嘘があるに違いないとか、聞き逃したひどい言葉があるんじゃないかとか、まだ分からないだけで破局が訪れるんじゃないかとかね。
それでも何も見付からないと、自分を守るための妄想はどんどん深まって行って ― 「無価値な人間」には誰も味方になってくれないのだから自分の身は自分で守るしかないという ― 、遂に何かを見つける。そうして全ての物事と人から身を引いて、翌週には落ち着いたようにみえるんだけど、結局同じサイクルを新しく始めるだけなんだ。
彼女には ― そして僕が知っている他の数人も ― 、僕が書いたような話が山のようにあって、被害妄想がしょっちゅう出るのは酷いイジメを受けるのが当たり前だといつも思っていることと関係しているように思えてくる。そう考えると、権威のある人、日本の文化、そしてちょっと違った子供(人道的な社会なら責任をもって育てるものだが)、という要素にはどうも繋がりがあるようだ。
こんなことさえなければすごく親切で思いやりのある女の子だったのに、それが起こったということに僕は今でも腹が立つ。でも、どうしたわけか彼女の心に中には誰に対する憎悪もない ― 自分自身に対する憎悪を除いて。人生を通じて何度も何度も、自分は一切の良いことに値しない人間だと言い聞かせてきたからだ。
追記2:教師に暴力を振るったのに何も起こらなかったのはなぜかという質問。僕も同じことを聞いたんだけど、自分の学校での経験や自分が育った社会の価値観、そして教師に対する信頼といったものを通して見ているから混乱するんだと分かった。
まず、彼女のことを暗に醜いと言った先生は自分がひどく残酷なことをしているという自覚はあっただろうから、それを公式に報告なんかしなかっただろう。
次に、彼女は両親にはこのことを話して、両親は学校に話した、そして学校は誰も処罰しなかった。先生はその年の終わりに別の学校に転勤になって、懲戒処分は一切なかった。
「でも殺されかけたんだろ!」僕も、首を絞められた彼女を見ていると個人的にはそう思う。ところが、クリーンな報告書(これは学校の評判と給料/助成金に関わる)が何より気になる担任の先生と学校にしてみれば、彼女は殺されたわけでも一生残る怪我をしたわけでもない。だから何も起こらなかったことにされてしまった。
そして思い出してほしいのは ― これがこの話の肝心なところなんだ ― 、彼女は当時非常に好ましくないとされる混血だった。多くの日本人の、外国人 ― 特に韓国人と中国人 ― に対する態度は、50年前のアメリカ人の黒人ハーフに対する態度を思わせるものがある。在日韓国人は1993年まで法律上日本では韓国人として登録されていて、日本では好まれない民族性を周囲に「アウティング(暴露)」されていた。今でも多くの人が、上司や同僚、更には友人にさえ、出自が韓国だと知られないようにしないと仕事に就くことができない。皮肉なことに、Kポップ・スターや韓国人のボーイフレンドは今の日本ではちょっとした流行になっている。
興味のある人のために言っておくと、非常にゆっくりとした態度の変化を示す立法上の動きがある。手始めに2013年のドキュメンタリー『ハーフ』をお勧めする。
翻訳元:Quora
超長文ですいません。以前から紹介したいと思っていた記事でした。

ハーフ [DVD]
■回答者
日本で生まれ育った、但し「ハーフ」(韓国と日本のハーフ ― 従って一般に日本人と比べて背が高くて、日本人と比べて顎が四角くて鼻が大きくて、その他色々「日本人と比べて」があるんだけど、この意味は後で分かる)の友達が、こんな話をしてくれた。
彼女が11歳ぐらいの時、中学校で新しい先生が転勤してきた。先生は廊下を歩いてくると彼女の机のところで立ち止まってこう言った。「ワオ、美人だね!」彼女はびっくりしたし、クラスメートたちはくすくす笑い始めた。
先生はこう続けた。「まあ、これこそ日本人ってことだよ。どんな時に何を言うべきか弁えてるんだ。みんなも大体分かってると思うけど、今言ったのは真っ赤な嘘だよ!」
(ここまで聞いて僕はひっくり返るほど驚いた)
彼女は先生の腹に一発お見舞いして、後は机をじっと見詰めてひたすら泣くのを堪えて、先生が授業の続きをするのを待った。
当然ながら、先生という権威のある人におおっぴらにからかわれてから、彼女が社会生活を送るチャンスは壊滅した。罰を受ける恐れのない、彼女に対する狩猟解禁期がやってきたんだから。彼女はロッカールームでクラスメートたちに首を絞められて、あやうく死にかけたことさえある ― そして失神しそうになったところで、止めに入った教師に助けられた。そしてこの生徒たちは1人も罰せられなかった。
もちろん、これで終わったわけじゃない。彼女が「先生を殴った」というのは、大学に入る頃には「先生を鉛筆で刺しまくった」に進化していた。彼女の高校のクラスメートたちがこの噂をせっせと広めたものだから、この厳格に画一化された社会で友達を作るのは不可能になった。
この話を思い出すと、そして彼女の無力感を想像すると、これほどまでのイジメは僕は見たことも経験したこともないと思う。イジメはどこにだってあるけど、子供時代を通して、さらに大人になるまで、こんな徹底して容赦のないイジメはない。しかも誰一人それをやめさせようとしなかったんだ。
そしてこれは特異な例じゃないんだ。似たような話は日本ではよくあって、型にはまらないタイプの子がしばしば経験することだ。というのも、教師がクラス全体をコントロールしやすくするために1人の生徒を「いびる」のはよくあることだからだ(そうでもしないと教師はクラスで「他人」扱いになって、尊敬を勝ち取ることが難しくなる)。これは日本では気味が悪いほど一般的なクラス運営のスタイルだ。
もっと広く言うと、ある国の国民の「均一性」が高いほど、型にはまらない人は全身に嫌がらせを受ける傾向が強くなる。それも仲間からだけじゃなく、あらゆる人からだ。アジアの文化はしばしば調和の価値を強調するし、もし調和しなければ人生はとても難しいものになるだろう。僕みたいな外国人には想像もできないことだ。僕らの多くは、大体において、社会はある程度のユニークさを受け入れる ― 時に奨励さえする ― ものだと考えるからね。たとえ違いが多少の軋轢を生み出すとしても。
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外国人「日本人は集団主義だから社会の問題について考えない」
外国人「日本と日本人の嫌いなところは?」→「集団主義」
このことはまた、彼女の話 ― 確かに信じがたい話ではある ― の正当性を判断するに当たっても大事だと思う。西洋の社会では、自分が苦しんでいるとか排除されていると表現することには人に訴えかけるような側面があるけど、日本の文化の中ではそうではなくて、この話を他人にするのは彼女を傷つけることにしかならないんだ。それでも彼女はそうした。僕はこれは、とてつもない強さと信念の印だと思う。あんなふうには決してなれないよ。
さらに、こういった経験をするのは日本人とは違った人たちだから、大抵の日本人には自分たちの社会がこんな毒性を持っているということがピンとこない。この種のトラウマを経験する日本人はわずかだし、経験するような人は発言の場を与えられないからね。
結論として、日本の教育システムは日本社会の余り報告される機会のない一側面であって、これに対してはことのほか道義に基づいた、規律ある、そして腐敗していない改革の手が必要だと思う。
かつての僕の友達のように声もなく苦しんでいる全ての人のために、すぐにでもその手が差し伸べられることを祈る。
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追記:彼女が今どうしているかって聞く人がいた。彼女の現状を伝えることで、この出来事が1人の人間に何をもたらしたかを理解してもらえると思う。
彼女は人を深く信じることがほとんどできなくなっている。人生が「しばらく」 ― 1週間ぐらい ― 上手く行くと、良くないことが起きそうな「胸騒ぎ」を感じて、自分の幸せの正しさを疑い始める。気付いてないだけで残酷な嘘があるに違いないとか、聞き逃したひどい言葉があるんじゃないかとか、まだ分からないだけで破局が訪れるんじゃないかとかね。
それでも何も見付からないと、自分を守るための妄想はどんどん深まって行って ― 「無価値な人間」には誰も味方になってくれないのだから自分の身は自分で守るしかないという ― 、遂に何かを見つける。そうして全ての物事と人から身を引いて、翌週には落ち着いたようにみえるんだけど、結局同じサイクルを新しく始めるだけなんだ。
彼女には ― そして僕が知っている他の数人も ― 、僕が書いたような話が山のようにあって、被害妄想がしょっちゅう出るのは酷いイジメを受けるのが当たり前だといつも思っていることと関係しているように思えてくる。そう考えると、権威のある人、日本の文化、そしてちょっと違った子供(人道的な社会なら責任をもって育てるものだが)、という要素にはどうも繋がりがあるようだ。
こんなことさえなければすごく親切で思いやりのある女の子だったのに、それが起こったということに僕は今でも腹が立つ。でも、どうしたわけか彼女の心に中には誰に対する憎悪もない ― 自分自身に対する憎悪を除いて。人生を通じて何度も何度も、自分は一切の良いことに値しない人間だと言い聞かせてきたからだ。
追記2:教師に暴力を振るったのに何も起こらなかったのはなぜかという質問。僕も同じことを聞いたんだけど、自分の学校での経験や自分が育った社会の価値観、そして教師に対する信頼といったものを通して見ているから混乱するんだと分かった。
まず、彼女のことを暗に醜いと言った先生は自分がひどく残酷なことをしているという自覚はあっただろうから、それを公式に報告なんかしなかっただろう。
次に、彼女は両親にはこのことを話して、両親は学校に話した、そして学校は誰も処罰しなかった。先生はその年の終わりに別の学校に転勤になって、懲戒処分は一切なかった。
「でも殺されかけたんだろ!」僕も、首を絞められた彼女を見ていると個人的にはそう思う。ところが、クリーンな報告書(これは学校の評判と給料/助成金に関わる)が何より気になる担任の先生と学校にしてみれば、彼女は殺されたわけでも一生残る怪我をしたわけでもない。だから何も起こらなかったことにされてしまった。
そして思い出してほしいのは ― これがこの話の肝心なところなんだ ― 、彼女は当時非常に好ましくないとされる混血だった。多くの日本人の、外国人 ― 特に韓国人と中国人 ― に対する態度は、50年前のアメリカ人の黒人ハーフに対する態度を思わせるものがある。在日韓国人は1993年まで法律上日本では韓国人として登録されていて、日本では好まれない民族性を周囲に「アウティング(暴露)」されていた。今でも多くの人が、上司や同僚、更には友人にさえ、出自が韓国だと知られないようにしないと仕事に就くことができない。皮肉なことに、Kポップ・スターや韓国人のボーイフレンドは今の日本ではちょっとした流行になっている。
興味のある人のために言っておくと、非常にゆっくりとした態度の変化を示す立法上の動きがある。手始めに2013年のドキュメンタリー『ハーフ』をお勧めする。
翻訳元:Quora
超長文ですいません。以前から紹介したいと思っていた記事でした。

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