海外Q&Aサイトの「南京大虐殺で日本人はなぜあんなに多くの中国人を虐殺したの?」という質問から、回答をご紹介。
■回答者1(中国)
当時の日本の軍国主義から起こったことじゃないかと思う。
19世紀末に日本が中国本土の侵略を始める前、日本の小学校はほぼミニチュア版の軍隊のようなものだった。生徒は木製の銃の模型を、また年長になると本物の銃を使って戦うことを教わった。教師も少年たちに中国人に対する憎悪と軽蔑を教え込み、将来の侵略に心理的に備えていた。
ある歴史学者が語ったことだが、一人の少年がカエルの解剖をしていて泣き出した。先生はこう怒鳴りつけた。
「たかがカエルのことでなぜ泣くのだ? 大人になったら100人、200人の中国人を殺さねばならんのだぞ!」
その結果、こうした生徒たちの多くは軍隊に入って戦争で戦える年齢になるまでに、自分が殺す、または殺そうとしている民間人に対する同情心をほぼ抱かないようになっていた。まあ、カエルだ。
これを人種的な蔑視に帰するのは正確ではないと思う。事実、日本の社会は中国に関しては極めて両義的な感情を抱いている。ペリーがやって来るまでの非常に長い間、日本は中国の文化を崇拝していた。また一方、中国が国内的にも国際的にもひどい混乱に陥った後でさえ、日本の多くの学者や役人は依然、1911年の革命(※辛亥革命)に魅了されていた。孫逸仙(※孫文)や袁世凱、その他多くの中国人が、実際に日本の資金提供と支援を受けて日本に留学した。
よく言うように、歴史は大部分が偶然によって作られる。これが本当だと分かる瞬間がある。
12月7日、日本軍が南京に進軍した時、松井大将は集会を開き訓示した:
「皇軍が外国の首都に入るのは我が国の歴史における一大事であり・・・世界の注目を集める。よってどの隊も無法な様子で入城してはならない・・・彼らにはまず注意事項と、城郭都市内における外国の権利と権益の位置付けを知らせよ。略奪は一切あってはならない。必要であれば歩哨を配置する。略奪と放火は、たとえ不注意といえど厳罰に処す。軍隊と同時に多くの憲兵と補助憲兵が城郭都市内に入り、これにより不法行為を防ぐ。」
中国人にとっては不幸なことに、松井は当時、慢性結核を患っていた。裕仁天皇は南京周辺の軍隊を引き受けるため叔父である朝香宮鳩彦王を前線に派遣した。朝香は12月5日に東京を立ち、3日後に到着した。間もなく彼の司令部から一連の命令が出された。「捕虜は皆殺しにせよ」、これが命令のメッセージだった。
松井が病気でなければ、あるいは少なくとも松井と同じ考えを持つ朝香以外の人物が松井の代わりとして南京に派遣されていたら、それでも物事はあんなふうに進んだだろうか? しかし歴史にifはあり得ない。悲しいことだが。
■回答者2(台湾)
「氏と育ち」という考え方にはまあ同意するが、しかしどんな言い訳があろうと他人を虐殺する権利は誰にもないし、またいわゆる「人種的優越性」なるものは全く馬鹿げていると言わねばならない。
人種的に優れていると主張するのは日本人に限ったことでないし、またナチスやKKKや白人の奴隷所有者に限ったことでもなく、普遍的に独善的かつ利己的、そして究極的には自己破壊的なものだ。「迫害された」側を見てみよう。中国人は何世紀にも渡って、他民族を「野蛮人」と呼び、自分たちが優れていると考えてきた。ユダヤ人は自分たちを「選民」と考え、アフリカの多くの部族は自分たちが白人に奴隷化されるまで何世紀もの間、他の部族を奴隷にしてきた。
またエリー湖地域のカナダの部族が自分たちを「ファースト・ネーション」と呼んでいたことも忘れてはならない。同様に、アメリカ・インディアンの多くも自分たちを「人間」と呼んでいた。
では、こういったことは何を意味するのか? 単純に言って、自分が誰かより生まれついて優れているとは誰も言えないという事で、それから、人種に基づく虐殺が起こる理由を何であれ説明しようとする言い訳なんてものはないという事だ ― それは単純に悪いことだ! そして虐殺が起こることを許した者たちは、彼らより「劣った」者たちの裁きを受けるに値する。
中国人が南京で起こったことを諦められるようになるには、中国の教育がこの歴史的悲劇を何度も繰り返して教え込むのをやめたとしても、あと数世代はかかるだろう。若い世代は日本に旅行して、普通の日本人がどんな人たちか自分で見て、対等の立場で日本人と友達になる機会もあるから、南京の事件は真珠湾の事件と同じようなものに ― つまり、歴史の本の中のただの1行になるだろう。
■回答者3(アメリカ)
私は日本人でも日系アメリカ人でも中国人でもないが、以前読んだ日本兵の生き残りのインタビューによると、関東軍の兵士たちは中国人との戦闘で確実に残忍になれるように、指揮官が意図的に酷い扱いをしていたそうだ。これを実現するため、1人1人の兵士に(一部の兵士たちだけだったかも知れない)、戦友の前で中国人の捕虜を剣か銃剣で殺害させた。彼らの全員ができたわけではないとは言え、多くは「体面を保つ」ためにこれをやった。日本の兵士たちが一列に並び、新入りの捕虜が標柱に縛り付けられ、兵士たちは中国人捕虜の間近で顔と顔を突き合わせて、殺すことを文字通り強要された。私は日本で過ごしたことがあり、それは楽しかったし、日本の人々と文化の中に見られる多くの特質に感心したが、しかしそれでもこうしたインタビューは問題なく信じることができる。あるいは丁度同じ頃、ヨーロッパには武装親衛隊がいたことも、問題なく信じられる。ヒトラーの元のドイツ人と同じく、日本人も政府の言うことを信じていた。不幸なことに、当時の日本では政府と軍部は一体だった。
■回答者4(シンガポール)
非常に単純な理由だ ― 彼らはそうする必要があった。彼らがやったことが正当化されるわけではないが、しかし戦略的観点からそうする必要があった。
中支那方面軍は5万足らずで、対して確実に抵抗する反日的な非戦闘員の数は20~25万だった(捕虜になることを避けるため非戦闘員の服を着た中国の兵士を含まず)。前進するに当たって背後で反乱が起きるのを防ぐのに、地元民を征服するため相当な規模の守備隊を残して行くというのは、日本人には到底手の出ない贅沢だった。さもなければ人口の大半を除去しておくかだ。日本人は最も簡単で、技術的に最も効率的な解決策を選んだ ― 問題が起きる前に脅威を潰しておくのだ。
現実には、戦争にルールはない。戦争犯罪と見なされることをするのに、日本人にとって邪魔になるものは多くはなかった。なので戦争犯罪は行われた。今日の国連は最も決定的な、あるいは能力のある組織ではないかも知れないが、少なくとも何がしかの軍事能力は有しており、これは第2次大戦中、実際的な意義のあることを何もできなかった国際連盟とは全く対象的だ。
翻訳元:Quora
英語圏で『ザ・レイプ・オブ・南京』の影響力はかなり大きいように感じます。
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完結「南京事件」--日米中歴史戦に終止符を打つ
■回答者1(中国)
当時の日本の軍国主義から起こったことじゃないかと思う。
19世紀末に日本が中国本土の侵略を始める前、日本の小学校はほぼミニチュア版の軍隊のようなものだった。生徒は木製の銃の模型を、また年長になると本物の銃を使って戦うことを教わった。教師も少年たちに中国人に対する憎悪と軽蔑を教え込み、将来の侵略に心理的に備えていた。
ある歴史学者が語ったことだが、一人の少年がカエルの解剖をしていて泣き出した。先生はこう怒鳴りつけた。
「たかがカエルのことでなぜ泣くのだ? 大人になったら100人、200人の中国人を殺さねばならんのだぞ!」
参考:
明記されていませんが、このエピソードはアイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京』からの引用のようです。
その結果、こうした生徒たちの多くは軍隊に入って戦争で戦える年齢になるまでに、自分が殺す、または殺そうとしている民間人に対する同情心をほぼ抱かないようになっていた。まあ、カエルだ。
これを人種的な蔑視に帰するのは正確ではないと思う。事実、日本の社会は中国に関しては極めて両義的な感情を抱いている。ペリーがやって来るまでの非常に長い間、日本は中国の文化を崇拝していた。また一方、中国が国内的にも国際的にもひどい混乱に陥った後でさえ、日本の多くの学者や役人は依然、1911年の革命(※辛亥革命)に魅了されていた。孫逸仙(※孫文)や袁世凱、その他多くの中国人が、実際に日本の資金提供と支援を受けて日本に留学した。
よく言うように、歴史は大部分が偶然によって作られる。これが本当だと分かる瞬間がある。
12月7日、日本軍が南京に進軍した時、松井大将は集会を開き訓示した:
「皇軍が外国の首都に入るのは我が国の歴史における一大事であり・・・世界の注目を集める。よってどの隊も無法な様子で入城してはならない・・・彼らにはまず注意事項と、城郭都市内における外国の権利と権益の位置付けを知らせよ。略奪は一切あってはならない。必要であれば歩哨を配置する。略奪と放火は、たとえ不注意といえど厳罰に処す。軍隊と同時に多くの憲兵と補助憲兵が城郭都市内に入り、これにより不法行為を防ぐ。」
参考:
松井大将が司令官を務める中支那方面軍が南京攻略戦にあたり隷下の部隊へ示達した「南京城攻略要領」の「七 南京城ノ攻略及入城二関スル注意事項」(→Wikipedia)。ただし原文は、これもアイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京』からの引用です。
中国人にとっては不幸なことに、松井は当時、慢性結核を患っていた。裕仁天皇は南京周辺の軍隊を引き受けるため叔父である朝香宮鳩彦王を前線に派遣した。朝香は12月5日に東京を立ち、3日後に到着した。間もなく彼の司令部から一連の命令が出された。「捕虜は皆殺しにせよ」、これが命令のメッセージだった。
松井が病気でなければ、あるいは少なくとも松井と同じ考えを持つ朝香以外の人物が松井の代わりとして南京に派遣されていたら、それでも物事はあんなふうに進んだだろうか? しかし歴史にifはあり得ない。悲しいことだが。
■回答者2(台湾)
「氏と育ち」という考え方にはまあ同意するが、しかしどんな言い訳があろうと他人を虐殺する権利は誰にもないし、またいわゆる「人種的優越性」なるものは全く馬鹿げていると言わねばならない。
人種的に優れていると主張するのは日本人に限ったことでないし、またナチスやKKKや白人の奴隷所有者に限ったことでもなく、普遍的に独善的かつ利己的、そして究極的には自己破壊的なものだ。「迫害された」側を見てみよう。中国人は何世紀にも渡って、他民族を「野蛮人」と呼び、自分たちが優れていると考えてきた。ユダヤ人は自分たちを「選民」と考え、アフリカの多くの部族は自分たちが白人に奴隷化されるまで何世紀もの間、他の部族を奴隷にしてきた。
またエリー湖地域のカナダの部族が自分たちを「ファースト・ネーション」と呼んでいたことも忘れてはならない。同様に、アメリカ・インディアンの多くも自分たちを「人間」と呼んでいた。
参考:
「ファースト・ネーション(カナダ英語: First Nations)は、カナダに住んでいる先住民のうち、イヌイットもしくはメティ以外の民族のことである[1]。」
「カナダ憲法上ではインディアン(Indian)という呼称がイヌイットとメティを除く先住民(Aboriginal peoples)を指す用語として用いられているが、これに不快を覚える先住民もおり、「ファースト・ネーション」という呼称が1970年代から一般的に使用されている[1]。」
ファースト・ネーション - Wikipedia
では、こういったことは何を意味するのか? 単純に言って、自分が誰かより生まれついて優れているとは誰も言えないという事で、それから、人種に基づく虐殺が起こる理由を何であれ説明しようとする言い訳なんてものはないという事だ ― それは単純に悪いことだ! そして虐殺が起こることを許した者たちは、彼らより「劣った」者たちの裁きを受けるに値する。
中国人が南京で起こったことを諦められるようになるには、中国の教育がこの歴史的悲劇を何度も繰り返して教え込むのをやめたとしても、あと数世代はかかるだろう。若い世代は日本に旅行して、普通の日本人がどんな人たちか自分で見て、対等の立場で日本人と友達になる機会もあるから、南京の事件は真珠湾の事件と同じようなものに ― つまり、歴史の本の中のただの1行になるだろう。
■回答者3(アメリカ)
私は日本人でも日系アメリカ人でも中国人でもないが、以前読んだ日本兵の生き残りのインタビューによると、関東軍の兵士たちは中国人との戦闘で確実に残忍になれるように、指揮官が意図的に酷い扱いをしていたそうだ。これを実現するため、1人1人の兵士に(一部の兵士たちだけだったかも知れない)、戦友の前で中国人の捕虜を剣か銃剣で殺害させた。彼らの全員ができたわけではないとは言え、多くは「体面を保つ」ためにこれをやった。日本の兵士たちが一列に並び、新入りの捕虜が標柱に縛り付けられ、兵士たちは中国人捕虜の間近で顔と顔を突き合わせて、殺すことを文字通り強要された。私は日本で過ごしたことがあり、それは楽しかったし、日本の人々と文化の中に見られる多くの特質に感心したが、しかしそれでもこうしたインタビューは問題なく信じることができる。あるいは丁度同じ頃、ヨーロッパには武装親衛隊がいたことも、問題なく信じられる。ヒトラーの元のドイツ人と同じく、日本人も政府の言うことを信じていた。不幸なことに、当時の日本では政府と軍部は一体だった。
■回答者4(シンガポール)
非常に単純な理由だ ― 彼らはそうする必要があった。彼らがやったことが正当化されるわけではないが、しかし戦略的観点からそうする必要があった。
中支那方面軍は5万足らずで、対して確実に抵抗する反日的な非戦闘員の数は20~25万だった(捕虜になることを避けるため非戦闘員の服を着た中国の兵士を含まず)。前進するに当たって背後で反乱が起きるのを防ぐのに、地元民を征服するため相当な規模の守備隊を残して行くというのは、日本人には到底手の出ない贅沢だった。さもなければ人口の大半を除去しておくかだ。日本人は最も簡単で、技術的に最も効率的な解決策を選んだ ― 問題が起きる前に脅威を潰しておくのだ。
現実には、戦争にルールはない。戦争犯罪と見なされることをするのに、日本人にとって邪魔になるものは多くはなかった。なので戦争犯罪は行われた。今日の国連は最も決定的な、あるいは能力のある組織ではないかも知れないが、少なくとも何がしかの軍事能力は有しており、これは第2次大戦中、実際的な意義のあることを何もできなかった国際連盟とは全く対象的だ。
翻訳元:Quora
英語圏で『ザ・レイプ・オブ・南京』の影響力はかなり大きいように感じます。
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